[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
「思い出の家」 〜帰郷の思い出(3)〜
認知症介護【98】
ババの「思い出の家」・・・それは生まれ育った2つの家と結婚後生活した家
(認知症介護【92】参照)だ。結婚した家の場所にババは自分の家を再建したいと願った。だがそこは無人の土地で、木や草が生い茂り進入さえ難しかった。ただ、見方を変えれば「思い出の場所」はそのままの形で残っていたということでもある。屋敷を何度か訪れることで、ババは記憶をたどりそこが思い出の場所であることを確認することができた。
ところがババの実家はそうではなかった。記憶ををたどることすら難しく、ババが両親や兄弟と過ごした思い出の場所で感慨にふけるなどということもできなかったのである。

ババが両親と過ごした家は人手に渡り、その土地には大きな家が建っていた。もはや無断では入ることすらできない。
ここに移る前に住んでいたもう1つの家も近くにある。そこは今は遠方に住んでいるババの甥の所有地となっている。ババが水汲みをするお母さんがかわいそうで、井戸を掘るためお金を送金した
(認知症介護【51】)というその土地だ。
周囲にはみかんの木がたくさんあり、ババの頭の中には忘れることのできない「なつかしい家」の当時の景色が焼きついている。道に面して段になっていたはずの地形はみごとに整地され、広い更地になっていた。整地したことで、土地の資産価値はかなり高くなっているのだろう。
故郷に1人だけ残っている甥(ユキオ)が2〜3回車でここを通り、「ここが家だよ」と説明してくれた。だがババには何も聞こえていなかった。ババの頭は空白で、甥の言葉は風のようにババの耳を吹きぬけただけだったのである。
2006年07月15日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:5
▲ページトップに戻る
ミカンの木が沢山あって・・・という言葉から、
「ミカンの花咲く丘」という
歌を思いだしました。
妻の弟の家だは
ババがひとりで
山の斜面にあるミカン畑を
手入れしていました。
一昨年亡くなりました。
一周忌の後で、
兄弟姉妹がそろって
「ミカンの花咲く丘」
を歌いました。
みんな
ボロボロ・・・涙・・涙・・・でした。
皆・・・も年をとったのでした。
【2006/07/16 22:14】
| 水木 [
編集]
とてもなつかしい、あたたかい光景を思い出して下さり、ありがとうございました。山の斜面の「みかん」畑で仕事をしている「ババ」様が目に浮かぶようです。また「ババ」様を大切に思っていらっしゃったご家族の思いも伝わってくるような気がしました。
義母の周囲の方達も年を重ね、「年月が過ぎた」ことを実感しています。その方達から昔の話を聞く度に「かけがえのない大切な思い出」を持っていらっしゃることを知りました。
中には義母が思い出せなかったこと、義母からは聞いたことのないこともありました。「ババはこんなに素晴らしい時を過ごしていたんだ!」と、思い出を語って下さった方々に「感謝」です!!今回はあらためてババのことを知る旅になりました。
【2006/07/17 07:58】
| chicyan [
編集]
コメントが届きますと
すぐ返事を書きたくなります。
うれしい・・・からです。
お母さまの越し方を
見つめることも
又、新たな発見なんですね。
【2006/07/17 22:04】
| 水木 [
編集]
こんにちは!
すばらしいお話ですね。。
今、私も介護生活のお手伝いをしてますが、
本当に本当に大変だと身にしみます。。
(TwT。)
色んな思い出を胸に、温かい気持ちで生活することも豊かなことですね。。。
【2006/07/18 00:17】
| もこQ [
編集]
>水木 様
義母が元気だった頃はこれほど義母の人生
を一緒に振り返ろうなんて気持ちになった
ことがありません。
今はもっともっと義母の生きてきた道を知りたいと思えます。
水木さまのブログを拝見することで水木さまの人生を教えて
頂ける事もありがたいことです。
>もこQさん
ご訪問ありがとうございます!
介護生活・・バテそうになることがいっぱ
いあります。(^_^;)
気持ちに余裕がないとまちがいなくババに
嫌われてしまいますネ。
穏かな時間の流れを感じる・もこQさんの
サイトで自分を取り戻しつつ日々過ごして
います(笑)
【2006/07/18 01:40】
| chicyan [
編集]
▲ページトップに戻る
トラックバックURL
http://chicyan.blog51.fc2.com/tb.php/102-4d7e7c8e