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旅の終わり
認知症介護【94】
7月2日の晩にヨシキがババの部屋をのぞいた時、私は大きな鼾をかいて爆睡していたそうだ。

強い睡魔が私を襲ったのは故郷からの帰路、飛行機がいよいよ着陸態勢に入った時だった。緊張がとけ安心してしまったせいか、ウトウトし始めた私を見てババは慌てた。「
何考えているの〜〜!!こんな時に寝るなんて!起きて!起きて!」ババに叩かれて見るとババの顔がこわばり、ひきつっていた。ババは緊張しているようだった。ヨシキが空港に迎えにきてくれ、タクシーで帰宅した。その間もずっと眠気は続き、土産話もそこそこにババと私は就寝したのである。
いよいよ帰宅予定の7月2日の午前2時過ぎ「
チー・・チー・・」と私を呼ぶババの声で起きた。ババは座っていて、胸の締め付けられるような感じ、苦しさを訴えた。1回目のニトロ舌下で少し収まったかのように見えたのでババを横にし、寝かせた。だがまた苦しくなり2回目の舌下、私は服を着替えて見守った。最悪の場合、救急車を呼ぶためだ。あと1日で帰れるのに〜〜!もう少し頑張ってくれたらヨシキの側にいけるのに〜!祈るような気持ちで見守っていた私の脳裏を「帰れないかも知れない・・・」という不安がよぎった。
出発前に口論した私達夫婦。「もしかしたら俺はもう二度とオカンに会えないかも知れないじゃないか!」ババの体調がベストじゃなかったので弱気になっていた私達。責任は重く、不安も強く、故郷に帰ってきてから感動の日々は続いたけれど気を抜くことはできなかった。いろいろな思いがかけめぐり、見守るそばでババはだんだん落ち着いてきた。残るハードルは搭乗予定の飛行機の飛行状態だけだった。往路は乗り物酔いするババにとって最悪の飛行状態だったからだ。夕方の出発だったが、幸い天気もよく機内での揺れはなく新聞を読んだり、パンフレットや雑誌を興味深そうに読んでいるババを見て私は安堵した。
翌日の朝、ババが言った。「
もう夜の飛行機は嫌だよ。疲れるから・・・。田舎ももう充分だよ!次に帰る時はあんた達2人で帰っておいで!」ババは田舎で、もし自分に何かあったら私達がつらい思いをするであろうということを察し、ババはババなりに身体に気を付け、緊張し、無事に家に帰ってこれるように願っていたのである。私達の32日間の旅は終わり、結果として私達夫婦が「命がけの旅」と称した旅は「感動と思い出に残る素晴らしい旅」になった。
2006年07月04日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:6
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驚きの朝 〜帰郷の思い出(1)〜
認知症介護【95】
2006年6月27日認知症の本人自身が頭にモヤがかかっている時、そうでない時を自覚できる?その日の朝、私は自分の耳を疑った。
「
チー!チー!」 まるで何かが起きたような声だ。朝の5時前にババが居間に来た。
「どうしたの?まだ早いよ」
「
あのね、今日はどうしても行かなければいけない所があるの!ずっと考えていたんだけど、はっきり思い出したんだよ!」重大なことを思い出したかのような真剣なババの表情だった。
「ふ〜ん・・それはどこなの?」
「
モリオ爺さんという人の家だよ。昔うち(ババの生家)の手伝いをいろいろしてくれた人でね、お母さんが病気になった時にもお世話になったらしいんだ。お母さんの世話をしていた兄さんが亡くなる前に「モリオ爺さんには本当にお世話になったから、お金を1万円包んでお礼に行ってくれ」って言い残したんだよ!それを今日ははっきりと思い出したんだよ!」
「遺言?ってこと?」
「
そういうことだね。で、それを聞いたのは私だけなの。だからどうしても私が行かないといけないの。今までもそのことを考えることはあったんだけど、あぁ、ここは田舎じゃないんだ、行こうと思ってもいけないんだと気づいてねぇ。でも今度帰ってきてからはそのことをすっかり忘れていたよ。」
「モリオ爺さんの家はどこだかわかるの?」
「
近くまで行ったらわかると思うよ。わからなければ人に聞けばいいよ!ア、そうだ!2人でウロウロするよりユキオ(甥)を呼ぼう!電話してみて!」
「今はだめだよ!早すぎるよ。向こうもこんな時間だとびっくりしちゃうよ、何かあったんじゃないかって!」
「
今日は頭がしっかりしているようだよ。全部思い出した。はっきりしているの。また時間が経ったら忘れるかも知れないから、いいから今電話して!」
それでもちょっと早すぎるので、いろいろ他の話しをした。兄嫁の話題になった時、ババがふと思い出したように言った。
「
トキ姉さんはあんなにハル姉さんと仲が良かったのにハル姉さんが今どうしているのか全く気にしていなかったね。(認知症介護【69】参照)私と同じで頭がパーになっちゃんたんだね。でもトキねえさんもこんなふうに頭がはっきりする時があるんじゃないのかねぇ・・?。その時だったら思い出せるんじゃないのかねぇ・・・」
驚きだった。ババの話を聞いているかぎりでは、ババの頭の中はまるで「雲ひとつない青空」というイメージだった。何とかおしゃべりをして時間を延ばしたものの、ババに「
今でないと忘れてしまうから」とせかされて早朝6時前、私は甥に電話をかけた。
2006年07月09日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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モリオ爺さんの家へ 〜帰郷の思い出(2)〜
認知症介護【97】
2006年6月27日
ババは70歳代で亡くなられたというモリオ爺さんの写真を見つめ、仏壇にお金を供えた。これでやっとババはババのお兄さんの遺言
(認知症介護【95】参照)を実行することができたのである。
早朝電話をかけた時、甥はモリオ爺さんを知らなかった。だがモリオ爺さんという方は確かに実在された方で、今も家があるということを調べてくれた。おかげで私達は捜しまわることなくモリオ爺さんの家へ直行することができた。
迎えてくれたのはモリオ爺さんの息子さんである。息子さんももうご高齢だったがババを見るなり「見たことがある!覚えている!」と遠方からの訪問に目を丸くされた。ババがまだ実家にいた頃、モリオ爺さんは時々ババの家に仕事の手伝いにきてくれていた。早くに奥さんを亡くされたモリオ爺さんは息子さんを一緒に連れてきていたというのだ。何十年も前の話である。そのことをババは覚えていたが、幼かったその息子さんの記憶にババのイメージが残っていたことに今度は私達の方がびっくりした。
ババのお母さんが病気になった時にモリオ爺さんにはとてもお世話になったという。「1万円」を包んで行ってくれというのは「
お金を借りたからなのかなぁ」とババにも事情はわからないらしい。ともかくババのお兄さんがモリオ爺さんに感謝し、最後までお兄さんの心に残っていたことは確かだ。
私達が突然の訪問の理由を説明すると、息子さんはモリオ爺さんは既に亡くなられたという事を教えてくれた。
2006年07月13日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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「思い出の家」 〜帰郷の思い出(3)〜
認知症介護【98】
ババの「思い出の家」・・・それは生まれ育った2つの家と結婚後生活した家
(認知症介護【92】参照)だ。結婚した家の場所にババは自分の家を再建したいと願った。だがそこは無人の土地で、木や草が生い茂り進入さえ難しかった。ただ、見方を変えれば「思い出の場所」はそのままの形で残っていたということでもある。屋敷を何度か訪れることで、ババは記憶をたどりそこが思い出の場所であることを確認することができた。
ところがババの実家はそうではなかった。記憶ををたどることすら難しく、ババが両親や兄弟と過ごした思い出の場所で感慨にふけるなどということもできなかったのである。

ババが両親と過ごした家は人手に渡り、その土地には大きな家が建っていた。もはや無断では入ることすらできない。
ここに移る前に住んでいたもう1つの家も近くにある。そこは今は遠方に住んでいるババの甥の所有地となっている。ババが水汲みをするお母さんがかわいそうで、井戸を掘るためお金を送金した
(認知症介護【51】)というその土地だ。
周囲にはみかんの木がたくさんあり、ババの頭の中には忘れることのできない「なつかしい家」の当時の景色が焼きついている。道に面して段になっていたはずの地形はみごとに整地され、広い更地になっていた。整地したことで、土地の資産価値はかなり高くなっているのだろう。
故郷に1人だけ残っている甥(ユキオ)が2〜3回車でここを通り、「ここが家だよ」と説明してくれた。だがババには何も聞こえていなかった。ババの頭は空白で、甥の言葉は風のようにババの耳を吹きぬけただけだったのである。
2006年07月15日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:5
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落胆 〜帰郷の思い出(4)〜
認知症介護【99】
2006年6月29日私の中の「未練」と「希望」はあっさりと打ち砕かれ、落胆へと変わった。
いよいよ家に戻る日が近づいていた。3日後には故郷を後にする。ババが行きたい所には一通り行ったし、会いたい人にも会った。本当にもうこれでいいのか?ババが再度帰郷できる日はやってこないかも知れないのだ。
私はユキオさんから車を借りた。私の頭の中に消化できずにいることがある。ずっとババに聞かされてきたババの若かった頃の生活・思い出。ババがババの両親や兄弟と過ごし、畑仕事をし、初恋の思い出もあるその「場所」をまだ肌で確かめていない。このままだとババが心で感じ、持って帰れるものが何もない。ムダかも知れない。でも、もう一度行ってみよう・・・

実家のあった場所に降り、歩き、それでも思い出をたどる事ができなければその時にはもうあきらめよう・・・。ババと私は甥の土地に到着し、車を降り、歩いた。「あの辺りに井戸があったんでしょ?」と私が聞き、そしてそれだけで終わった。きれいに整地された土地はババに何も話しかけてはくれなかったからだ。
2006年07月18日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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神様からのプレゼント 〜帰郷の思い出(5)〜
認知症介護【100】
ババと私は実家の敷地を出て道路に出た。あまりに短い滞在だった。何だかこのまま帰るのも寂しい。私達は手をつなぎ、向かい側にある公民館を横目に見ながら少し歩くことにした。
公民館の正面に掲示板があった。それを見てみようと入り口に近づいた時、公民館の庭で人の声がすることに気づいた。どうやらシルバーの方たちがゲートボールをしているらしい。もう終了前のようで、後片付けを始めていた。
しばらくしてその女性達もババと私に気づいたようだ。ここで面白い時間が流れた。両側から「何者?」と見つめあい、お互いに相手の様子をうかがった。そのうちに1人の女性が首を傾げ、こちらを見ながらソロソロと近づいてきた。それから突然声をあげたのである。
「ユナチ・・ユナチねえさん!!じゃないの〜〜?!!」他の3人の方も口々に「え〜〜!!ユナチさん??」とびっくりしながら駆け寄ってきた。先日会ったカネさんの妹さんやババの幼なじみの方達だったのだ。農作業を済ませ、涼しいこの時間に皆で集まって遊んでいたのだ。それからはワイワイとにぎやかにおしゃべりをし、皆で1枚の写真におさまり、楽しいひとときを過ごした。
まるで落胆したババと私を見ていたかのように、神様が「偶然の出会い」という本当に嬉しいプレゼントをくれた。
2006年07月19日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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新たな目標 〜帰郷の思い出(5)〜
認知症介護【101】
私達が落胆した実家跡地のことで、後日ユキオさんの奥さんが申し訳なさそうに話した。
「田舎を出て都会で生活をされていらっしゃる方はたいがい皆さんおっしゃるのよ。できれば昔のままの環境で残っていてほしいって!ああ、故郷に帰ってきたんだなぁと実感できるからって!でもここで暮らしている人はやっぱり、自分達が生活しやすいように変えてしまうから・・・。本当は帰ってこられる方のため、できるだけ保存しておいた方がいいんでしょうけどね・・・。ショウイチ(実家を継いだ甥)さんが、2〜3年後には整地した場所に新しい家を建てるらしいから、その時は伯母さんのために必ず家の周りにみかんの木を植えておくからってユキオが話していましたヨ。」
2〜3年後に家を建て、みかんの木を植える。ではみかんが実るのは?ババがつぶやいた。「
そんなもん、もう私が生きているうちにみかんは成らないわよ!」「あ、でもお母さん?私達は家を建てることができなかったけど、お母さんの実家は新しい家が建つって事じゃない!!そうよ!その時には新築祝いでまた帰って来ようよ!」「
・・・。そうっか、そうだね、そうしようか!!」
実現できるかはともかく・・・ババに新たな目標ができた。
2006年07月20日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
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認知症ババのつぶやき(4)
認知症介護【102】
★空襲時のこと★
実家が焼け残ったのはお父さんのおかげだよ・・・。
空襲にあった時、家の神棚にはもう火がついて燃えていたんだ。
それを、お父さんが、家の外に汲んであった水に
自分の着物を突っ込んで、それで火を消したんだよ。
着物はお父さんにしてはよそ行きの着物だったよ。
それが後々まで残っていたからね。
空襲中には避難壕を掘って、それから水も汲んで準備してあったの。
家から避難壕に逃げる間に体のすぐ横にやっきょうが落ちてきてねぇ。
そのやっきょうを拾っておけばよかったよ。
記念になったのにね・・・。
やっきょうをとりにいくのは、恐くはないよ。
その時のやっきょうが隣の村のノウアタという所に飛んでいって、
ノウアタをほとんど焼きつくしてしまったんだ。
2006年07月23日 | ババのつぶやき | トラックバック:0 | コメント:2
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在宅介護の長所と短所
認知症介護【103】
以前に「自宅は世界最高の特別室」という素敵な言葉をネットで見つけた。「
長尾クリニック」サイトの「Essay」中にある。この言葉はずっと心の中に刻まれている。掲載されている他の記事からも自らを「町医者」と称されるドクターの温かさやお人柄が伝わってくる。
なるほど入院加療と自宅療養とを比較すれば、確かにうなずける。もしも自宅で受入れが可能な環境であれば、自由だし、住み慣れたなじみのある部屋で、自分のペースで時間を使うことができ、他人に気を使う必要もない。病気の慢性期はもちろん、終末期も「死ぬ時は、自分の家で静かに死んでいけたらいいナ」と私自身思うこともある。
だが、ドクターの別の記事中(自宅で最期を迎えることの欠点や問題点 )にも書かれているが、問題は「病気があること」だ。本人や介護者である家族がどの段階まで、自宅で病気や症状と向き合えるか?!不安は大きい。 自宅にはドクターも看護士さんもいない。苦痛を訴える時、あるいは急変時、あるいは終末期、本人・家族の肉体的、精神的負担は限りなく大きい。家族の立場から、「神経がすり減る」という言葉が思い浮かんだ。
ババと私が帰った後に、妹が実母に「2人が居ないから寂しいでしょ?」と聞いたそうだ。それはそうよね、寂しいよね。離れていてめったに会えないのだし・・・。ところが返事はつれなかった。「ううん、やれやれ・・・だよ!ホッとしたよ。」 やっと気が楽になったという意味の言葉が返ってきた。

実母も神経がすり減る思いをしたみたいだ。実母は私が都合の悪い時、ババに付き添い、見守ってくれた。ババは認知症だけでなく、内科的な持病もある。実際に目の前で、ハラハラ、ドキドキを連続して体験し、さすがに「もう、けっこうです」の心境になったのだろう。
家に帰ってきてからババの体調は今一つ良くない。持病の心臓病による足の浮腫が出たり、膝の調子が悪くなったり、難聴が一段とすすんだりと次々問題がでてきた。やっと回復してきたものの、「世界最高の特別室」の看護士(代)としては神経のすり減った期間だ。
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2007/02/11-14:40 「時事通信社/ホーム/社会」
75歳以上に在宅療養支援プラン=新高齢者医療制度で−厚労省検討
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date3&k=2007021100078(※全角文字で表記)
2006年07月30日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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