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帰郷
認知症介護【79】
2006年6月1日午後、上空で旋回していた飛行機は再度降下をはじめた。着陸態勢に入ったのである。雲の切れ間から降下していく。2度目の滑走路進入トライだ。私たちは祈るような気持ちで構えた。ババは口を聞かない。1度目の降下で気分が悪くなり嘔吐してしまったのだ。座席後部に準備されていた紙袋を2つも使った。もし着陸不可能であれば出発地の空港へ引き返すということだ。既に気分が悪くなっているババにとっては大きな負担になる。私は片手をババの背中にまわした。

ここまでの空の旅は快適だった。車イスの必要なババのサポートはとても親切で万全だった。ババは何回も飛行機の旅をし、サポートしてもらっているので「飛行機はいいよ〜〜!年寄りには親切だからねぇ!ありがたいものだヨ〜〜」と上機嫌でおしゃべりをしていた。
途中ババに「あとどの位?」と聞かれ、私は「30分位だよ!」と答えた。「あっ、そう!もうすぐなの?!」とババの目は輝いた。だが、実際にはその後着陸まで1時間近くもかかってしまうことになる。
私達は天候不良のため、5月31日の搭乗予定を1日延ばした。そして翌日定刻より約25分遅れ、郷里の土を踏んだ。やや強引に滑走路に車輪を下ろし着陸したかのような実にスリルのあるフライトだった。夢にまでみた感動の瞬間は、搭乗前に頭に描いていたような場面にはならず、ただただ着陸できたことに安堵した。
2006年06月03日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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認知症ババのつぶやき(2)
認知症介護【80】
2006年6月3日
な〜にがなんだかわっけがわっからない〜!
後から来ると思ったのに、何してたの?
何でこなかったの?あんたがいないと全く何がなんだか・・・。
教会でヨシキにハル姉さん(認知症介護【47】参照)だって(遺骨)教えられたけど。そんなものを見せられても、私にはわからない・・・。
あとで考えたらあの中に姉さんの骨があったんだと思って・・・。
でもハル姉さんはいつも炊事場でガサガサしているから、そこらにいるような気がして・・・私にはどうしてもあれがハル姉さんだとは思えない。わからない・・・。今でもどこかにいて「よく帰ってきたねぇ」って言ってくれるような気がして・・・。
その後お母さんのお墓に行ったというけど、お母さんのお墓だとは思えない・・・。
今日はもう何もわからない。明日になったら「人間」になっているだろう!・・・。
2006年06月05日 | ババのつぶやき | トラックバック:0 | コメント:0
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姿を見せない兄嫁
認知症介護【81】
6月1日、到着ロビーでババの甥と私の実母が私達を出迎えてくれた。
甥の家(教会)でお茶を頂き、その後私の実家に向かう。気分のすぐれないババはその間ずっと飛行機で大変な思いをしたと繰り返す。当日と翌日の6月2日はとにかくババに休んでもらうことが先だった。6月3日ババとヨシキは甥の教会に行き、そこで納骨されている兄嫁の遺骨と対面する。ババの頭の中の時間がそこで止まった。ババの頭はパニックになり、翌日まで対面のことを繰り返し話し続けた。他のことは頭が受け付けない。

6月3日の対面後、私も一緒に念願のババのお母さんのお墓参りに行った。
だがお墓参りも、もはやババにとって夢の中の出来事にすぎなかった。
帰るといつも「よく帰ってきたね」と迎えてくれる兄嫁がまだ自分の所にこないと涙ぐむ。
2006年06月06日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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環境の変化
認知症介護【82】
私の伯母が最近入院したという。入院後認知症らしき症状が出てきたと実母が嘆いている。ババの認知症状がでたのも入院直後だ。「入院」という環境の変化が少なからず影響を与えるのだと私は思う。
私は今回帰郷するまで深く考えなかったことがある。環境の変化によるババの混乱だ。帰郷時の滞在先は介護の都合もあり、私の実家ということになった。ババは過去にも泊まったことがあるので全く問題はないはずだった。ところが帰郷後、2日目に「1日でも早く家に帰ろう」とババが言い出した。
なじみのある間取り、トイレとお風呂までの距離、環境・・・今更ながら自宅はババにとって最適な環境であることを知る。ババにとって最も気になるのはトイレと風呂の設備・環境だが実家は不便だった。まずそれぞれベッドから距離があるし、設備もババには不十分だった。頻尿のババにはかなりこたえる。おまけに場所がわからなくなり、毎回手を引いて連れて行く。3日目にポータブルトイレを出した。疲れきったババは早くも弱音をはき、家に帰ろうと言いだしたのである。
ババのペースに合わせて行動するため、今回の帰郷は1〜3ヶ月の幅を持たせて帰ったのだが、この分では最短の滞在期間になりそうである。
2006年06月08日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
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故郷の家へ
認知症介護【83】
2006年6月7日「
お世話様でしたぁ〜〜!」身支度が終わり、出かける前にババが元気よく挨拶をした。
「誰に言ってるの?」「
うん、トイレに・・ねっ!」「えぇ〜〜?またここに帰ってくるんだよ?!」すっかり家に帰るつもりのババをがっかりさせた。完全に自分の家に帰りたいモードになってしまったババ。
そのババの心に拍車をかけたのが6月4日先に帰ったヨシキの言葉だ。「早く帰ってきてなぁ、オカン!オカンがいないとやっぱ寂しいよ。」
ババはこう言っていた。「
屋敷に家を建てたい。小さくてもいいから家を建てて人並みになれたら、もうあそこ(あの世)へ行ってもいい・・・。」昔は貧しくて苦労したけれども、何とか今は人並みになったのだと皆が認めてくれ、一旗あげたのだと満足できたらもう思い残すことはないというのだ。ババのその想いを受け止め、しかしかなえる事はできない私達。実現できないと知ったババは今度は遠く離れた我が家と息子へ想いを寄せる。
舗装のされていない石ころゴロゴロの坂道。木や草が生い茂り、もはや進入不可能となっている屋敷をババに見せるために、ババの想いを背負って甥が進む。甘えることを知らない不器用なババは背中を後方にのけぞらせ、甥に倍の負荷をかける。
2006年06月09日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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記憶障害
認知症介護【84】
認知症の症状として「記憶障害が大きい(短期、長期記憶は低下するが超長期的記憶は比較的保たれている)」(認知症介護【32】参照)とある。遠い昔のことは比較的覚えていて、最近のことほど忘れやすいということだと思う。その最近の記憶の中でも頭にインプットされること、されないことがある。その違いは何なのだろうか?ババの場合、ほとんどを忘れてしまうのでなくその中で記憶していることもある。
6月7日の私達(私、ババ、私の実母、甥の4人)の行動の流れはまず屋敷を見に行き、それから昔からお付き合いの深かったY家に寄り、その後魚料理の美味しい飲食店で昼食をとり、帰宅するというものだった。
家屋敷へ下りる坂の上に雑貨屋がある。帰郷の度に顔を出しているそのお店のおばさんに声をかけた。おばさんはお化粧をして若々しかった。ババは車の中からおばさんと言葉をかわした。それからいよいよ家に向かったのだが、その時点でもうお店のおばさんと会ったことは忘れていた。(会ったということを認識していない)
私達が何とか家の前まで進もうと相談している時、道を挟んで向側の家のご主人が出てきた。彼は進入路の草を刈って道をつくってくれた。奥さんとは親戚にあたるのだがご主人とは初対面だ。ババに説明はしたが、相手が誰だかさっぱり理解できなかった。しかしこの場合は無理もない。
屋敷への出入りを甥に背負ってもらい、門の場所で腰をかけ、すっかり変わってしまった家の跡地を眺める。しかし、悲しいかな、一番望んでいたこの時間はババの記憶に残っていない。私達はこの時間のために帰ってきたのだ。覚えていたのは甥がババを背負ってくれたことだけだ。後で「
小さい頃は逆に私がしょっちゅうおんぶしていたのよ〜!」と言って笑った。今度は甥がそのことを覚えていないと首を傾げた。

そして親子同様の付き合いをしていたというY家を訪ねた。ババはお世話になったそのおじさん、おばさんがまだご健在だと思っていた。(もうとっくの昔に亡くなられている。)
世代は代わり、今はその息子夫婦(70代)が住んでいる。その息子夫婦ともなじみの間柄だ。訪問時は奥さんだけが在宅だったが、遠方からのババの訪問をとても歓迎してくれた。
私とババは家の中へ上がらせてもらった。てっきりおじさん、おばさんが中にいるものだと思い込んでいたババは仏壇の前でびっくりした。「
亡くなったことも知らなかったなんてねぇ・・・」そして奥さんとお互いに本当に世話になったと言葉をかわしあった。
とても大切なこの訪問もババの頭の中ではもやのなかだった。「
とっても親しく、優しく声をかけてくれたあの人は誰?」奥さんはババも本当によく知った人なのに、ババの頭の中では別人だった。
最後の外食だが「
あれは良かったねぇ〜!とっても美味しかったねぇ!」としっかり覚えていた。だが同席した人は覚えていなかった。
認知症が更に進行すれば、瞬間人と呼ばれるほど記憶力が低下し、周囲が喜んで頂くために何をしても記憶に残らないという。気力が抜け、悲しい思いをしている家族がどれほどいることだろう。
ババの記憶に残る可能性に賭けて、帰るまでにババにとって大切な思い出の場所へもう一度でかけてみようと思う。
2006年06月11日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
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母二人
認知症介護【85】
帰郷後何日か経ったある日の午前3時「
やっぱり畳は背中がいたいワ〜」その声で実母は目を覚ました。そして自分の布団の横に座っているババを見てびっくりしたのである。「えぇ〜〜!?ということは今までそこで寝ていた?」あわてて布団を敷き、ババに寝てもらったのだという。

実母はババにベッドを譲り、自分は食卓のある居間で寝ている。私はそのベッドに縦列に布団を敷き寝るようにした。
ここに来てもババの夜間のトイレ通いは相変わらず頻回だ。初めはトイレに行った後、場所がわからなくなり、すぐそばの居間で寝てしまったのだと思った。ただ日を重ねるごと、環境の変化にババは順応してきていた。それにベッドと畳では膝にかかる負担も大きく異なるし、ババにその違いがわからないはずはなかったのだ。トイレに行く度に立ち上がりが大変なのだから・・・。そのうちに私はババが実母の横に行くのはトイレに行くときだけではないことに気づいた。
6月10日の夜、ババは胸痛を訴えた。狭心症の発作なのか立ち上がり時の圧迫痛だったのか判断できなかった。ニトロ舌下後、治まってから大事をとってベッドで寝てもらった。ところが「
寝やすいから」とまた居間に行きたいというのだ。なぜだろう??なぜ居間の方が寝やすい??私は縦に並んで布団を敷いているのでババからは死角になる。横にいないと不安?
今朝も午前2時30分、「
アマさん〜、アマさん〜、トイレに行きたいんだけど・・・」という声で目が覚めた私はいつの間にか実母の横で寝ているババを発見した。
ともかく実母の横は今やババのお気に入りの場所になり、いつでも行き来できるように初めから布団を敷いてある。夜もにぎやかな私達に疲れた顔を見せながらも、横でスヤスヤ寝ているババを見つめ「帰ったらきっと寂しくなるわね・・・」と実母がつぶやく。
2006年06月13日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症ババの記憶に残った「再会」
認知症介護【86】
「認知症」という言葉はこの時無縁だった。
6月14日、ババが会いたがっていたご夫婦を3人(ババ、私、甥)で訪ねた。家のお隣さんで長いお付き合いのあるご夫婦だ。ご主人が入院し、奥さん(スミさん)は病院に泊まり込んで、付添介護をしているということだった。私達が病室を訪れた時、スミさんは簡易ベッドで休まれていたが、声をかけると私を見てびっくりして起きた。
仕切りのカーテンを開け車椅子のババを引き寄せる。ババとスミさんは、お互いに目の前にいる相手を確認した。その瞬間、スミさんはババにかけより、二人は泣きながら抱き合った。それを見た甥がそっと部屋を出ていく。ババとスミさんの二人だけに通じる追憶・・・。帰郷後初めてババの思いがあふれ出た。涙と嗚咽を制限することもなく・・・。
「
もう一度家を建てて、あなた達と暮らしたかった!!子供達に激しく反対されてねぇ。しようがないことだけど・・・。あの子達のいうことは聞かないとねぇ・・・」泣きながら途切れ途切れに話すババをスミさんが更に強く抱きしめた。
2006年06月15日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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初恋の証人
認知症介護【87】
6月16日、幼い頃に一緒に遊んだという92歳のマサさんを訪ねた。懐かしい対面をし、昔話が楽しく続いていた。そのうちにババが何度も同じ事を繰り返し、口にするようになった。「
ここを少し下った所にカネさんの家があったんじゃないかねぇ?」「カネさん?誰だろう?そんな方いらしたかなぁ?」曖昧なので話は適当な返事ぐらいで流されるのだが、忘れた頃にまたババが同じ話しを繰り返す。マサさんの娘さんが「ユナチさんと同じ村出身の方?」と聞いた。ババがそうだと答えると「あ、それだったらカズさんの事かも知れない!」ということになり、娘さんはさっそく「カズさん」に連絡をとってくれた。私達は予定外だが急遽カズさんのお宅を訪問することになったのである。私は「もしかしたら・・・」という予感をこの時感じた。
久しぶりに会うカズさんとババは再会を喜びあった。間違いなくこの再会の感動もババの記憶に残るだろうと確信した。そのうちにカズさんのご兄弟の話題になった。お兄さんのヒサオさんはババと仲がよく、またお姉さんのナツさんは不器用なババに機織やらいろいろなことを教えてくれたそうだ。ナツさんは40歳で亡くなられたということだった。ババは「
ナツさんには本当にお世話になってねぇ〜」とだんだんこの言葉ばかりを繰り返すようになった。
タイミングを見計らい、私はカズさんに「おばさん、聞いてもいいですか?もしかするとヒサオさんはとっても本の好きな方じゃなかったですか?」と尋ねた。「
そう!好きだったよ。」「もしかするとお母さんの憧れの人だったのじゃないかしら?」「
うん。聞いたことがあるよ。2人は仲がよかったのよ。私もユナチお姉さんが大好きだった。」「ヒサオさんも少しはお母さんのこと、気にしていたのかなぁ?」「
ううん、少しどころじゃないヨ!でもユナチさんの家はお父さんが学校の先生だったし、家柄も違いすぎて、お嫁さんにほしいって頼んでもお父さんが許してくれないだろうって!」「ええ〜っ!!」2人は相思相愛だった?
カズさんが続ける。「
ヒサオ兄さんが老人ホームに入所した時、ユナチお姉さんが面会に来てくれたの。ホームの方がヒサオ兄さんに「きれいな女性ですね」って言ったらお兄さんは「ありがとう!」って答えたのよ。」と笑いながら教えてくれた。会話の内容は初耳だ。その後ヒサオさんは亡くなられ、私はそのことをババから聞いている。もちろんその時はヒサオさんがババの憧れの人だったことは知らなかった。ババはきっとあの時寂しかっただろうなぁ・・・。

ババに「お母さん、ヒサオさんもお母さんのこと、気にしていたんだって!!スキだったらしいよ!」ババは少しうろたえ、困ったように「
そうかねぇ??でも頭がよくて、とても本を読むのが好きで道を歩くときも本を読みながら歩いていたのよ!」・・・つながった!!
(認知症介護【50】参照)何て素晴らしい時間が与えられたのだろう!そしてこの予定していなかったカズさんとの対面はババの心の中の、目に見えない誘導によるものだ。ヒサオさんもババも今はそのほのぼのとした恋を語ることはないが、もしかしたら2人は2人だけに通じる世界を持っていたのかも知れない。
2006年06月18日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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再会の涙と別れの涙
認知症介護【88】
私の母方の祖母は生存中、孫達が帰省し、またそれぞれの家へ戻っていく時、挨拶に行くと必ず泣いた。実母から祖母は自分が高齢なので、これが最後だ、もう会えないかも知れないという気持ちになり、泣くのだと教えられた。
若い友人達の再会・恋人達の再会・高齢者同士の再会・いろいろな立場での再会がある。相手が来るのを待つだけの再会・こちらから会いに行く再会。高齢になり誰かがセッティングしてくれないと会うことのできない再会。そしてもう一度会えるだろうと思える再会、もう二度と会えないだろうと思う再会。

再会できた喜びの涙と別れの涙。私は今回ババの古き友人達との再会に立ち会い、その重みに押しつぶされそうだった。自分が彼女達にとってどれほど大切な時間に立ち会っているのかをつくづく思い知らされた。何年ぶりかで会えたという感激の涙を流し、その感激がさめないうちに今度は惜別の涙を流す。
80歳を超えて車椅子の生活をしているカズさんがババの手を握りしめ、言った。「もうこれが最後になるかも知れないから・・・」
多分一番しっかりした自分を見せたかったであろうカズさんの前で、カズさんに認知症では?と思わせるほどの動揺を見せ、それがなおいっそうカズさんの涙を誘った。高齢になり、体も不自由になり、「会いたい」という気持ちだけでは会うことのできなくなったババ達の「再会」と「別れ」だ。
2006年06月19日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
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