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お墓参り
認知症介護【89】
6月19日の夜、ババのすすり泣く声で目を覚ました。昼間はお墓参りやババの実家あたりを車で回り、ババにとってはかなり疲れた1日だった。「どうしたの?」「
あの骨はお母さんだったんだなってそう思ったら・・・。」「そうっか・・・!」
帰郷後すぐの「お墓参り」はババがパニック状態(認知症介護【81】)だったため、幻のお墓参りとなってしまった。ババがお墓に行ったことを覚えていないからだ。また、前回はババの体の負担を考え、行く道のコース(道順)も変え、よりお墓の入口近くまで車を進入させた。それもババのパニックに影響したかも知れないと思った。

ババと甥と私の3人は今度はババのいつものコースを行ってみることにした。墓へ向かう急な登り坂の下に車を止める。ババに車から降りてもらい、聞いた。「ここがどこだかわかる?」「
何バカなことを聞いているの!ここはお墓の前の道じゃないの!」私達は「ゼイゼイ」するババと、ゆっくりゆっくり、休み休み、登り坂を進んだ。様子を見て無理なら前回のコースに変更予定だった。
墓地でババはババのお母さんの墓の横に並んで立っているそれぞれのお墓の持ち主を教えてくれた。それからババ自身の手で両親と兄の眠るお墓に花を供え、手を合わせた。甥が埋葬だった両親の遺骨をババに見せる。しかしなぜかババは一目見ただけで、背中を向け、私達はお墓を後にした。ババの頭に今日の「お墓参り」はしっかりと刻まれた。
2006年06月20日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症ババのつぶやき(3)
認知症介護【90】
こんな気分の悪い(具合の悪い)日はチーの横で寝ないとネ
ベッドから落ちて怪我でもしたらチーが怒られるからね。それでここに来て寝るんだよ!(居間の実母の横で寝る理由)
あ〜〜いい気持ち!(湯船につかって)
生き地獄だヨ〜〜。ア、ハハ、ご・く・ら・く・だネ
2人(ババとチー)
はお風呂の時だけは喧嘩しないね。
いくら自分の(チーの)
実家でももう飽きただろ?早く家に帰りたいねぇ。飛行機はいつ飛ぶの?
そうだ、帰る前にもう1度スミさんと会いたいね・・20分でもいいから・・・!
家に帰ってから そんなおしゃべりしないでヨ。ヨシキにとっては、何と言ってもお父さんが一番なんだから・・・!!(お風呂場でヒサオさんの事を冷やかされて)
2006年06月21日 | ババのつぶやき | トラックバック:0 | コメント:0
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非バリアフリーの効果
認知症介護【91】

6月1日に帰郷、思えばその前後がババにとって最も体調の悪かった時期かも知れない。
出発前は右腕が痛くなり、「ゼイゼイ」も気になり、また歩くこともつらそうで、家の中ではめったに使わない杖を使用していた。血圧も不安定で、そのために出発を見合わせたところもある。
おまけに飛行機の旅は最悪で、ババは胃の中のものを全て吐ききり青ざめた顔で故郷の地面を踏んだ。
たどり着いた私の実家はバリアフリーではなくババを弱気にさせた。生活行動の困難さと体調の悪さに合わせて、次々とババを待ち受ける変わってしまった環境・事実。ババの頭は混乱し続けた。
そして10日後の胸痛。何かあるといけないので、ともかく紹介状を持ってA医師を訪ねた。A医師はババの親族でもある。彼はババを優しく迎えてくれ、記念に2人の写真を撮った。
6月23日現在のババだが、足腰が幾分強くなったような気がする。心臓が弱いババにとって、足腰を鍛えることが必ずしも体に良いとばかりはいえない。だが、ベッドと居間を何度も行き来し、段差のあるお風呂場へ通い、距離や段差が負担を増すトイレ通いを余儀なくされ、そして畳に敷いた布団からの立ち上がりを日に何度もしなければならない。その不便さがまるでババを元気にしたかのようだ。非バリアフリーの効果だろうか。
2006年06月23日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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再び屋敷へ
認知症介護【92】

甥は再びババを背負っていた。屋敷からの帰り道だ。
6月7日
(認知症介護【83】)ババが34歳で嫁いできた屋敷を見に行った時、ババを背負った甥が息切れ切れに言った。「伯母さん、頼むから、もう1回屋敷を見に来るなんて言わないでくれよ〜!」私達はさぞかし重いのだろうなぁと大笑いをした。
だがその後、ババは会った人に「もう家には行ったの?」と聞かれ「
ううん、まだ行ってないよ!」と答えた。甥に背負ってもらったことは覚えていたものの、屋敷を見に行ったことは覚えていなかったのである。
2週間後の6月21日、再び私と甥とババは屋敷に向かった。実母は前回の坂道が膝にこたえ、今回は同行しなかった。車を降り、ババにとってなじみの屋敷の出入り口に立った時、ババが「
あ〜〜、ここは家に下りる道だね。」と言った。今度は大丈夫だと感触を得た私達はお墓参りと同様、下り坂をゆっくりと、ババと一緒に周りの景色を確かめながら下りていった。
舗装されておらず、伸びた木の根や石などででこぼこになっている道を下りながらババは「
これじゃ、しようがないねぇ〜!これじゃ無理だね〜!(家を建てて住むことが)」とつぶやく。ババは屋敷の門まで杖を使い自分の足で歩き、たどり着いた。そこから先は伸び放題の草や木が生い茂り、ババもそれ以上進むことをあきらめ、そして自分の夢をあきらめることを確認したようだった。
ババが34〜54歳までの時代を過ごし、現住所に所有する家がありながらも再建を夢見た思い出のつまっている場所。義父の療養の為、54歳でこの地を離れた時、実は敷地内の一角に新築のための整地を済ませたばかりだったという。そこだけは今も平地で広場になっていた。
2006年06月29日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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花嫁の付き人
認知症介護【93】
幾年も逢ぬ友に 今日逢えて
話つきず時を忘れ6月22日、カネさん(89歳)からカネさんの想いをしたためた色紙を頂いた。
偶然にも実母とババに共通の知人がいることがわかったのはその前日のことだ。実母がその知人(カネさん)に電話をし、ババとカネさんは再会を果たした。実母は若い頃働いていた紡績工場でカネさんと一緒だったといい、ババは同じ村の幼なじみということだった。
私と実母とババの3人でカネさんのお宅を訪ねると、カネさんはとても喜んで迎えてくれた。カネさんは本当に若々しく、その動きはとても89歳とは思えなかった。昨年88歳になるまで日本舞踊を教えていたということで、今も個人的な指導の依頼があるという。
そのカネさんとの会話の中で私達は思いがけない話を聞かせてもらうことになった。何と、ババの結婚式のとき彼女はババの付き人だったというのだ。ババの花嫁衣裳は黒留袖で、カネさんは訪問着を着てババに付き添ったという。その頃(昭和24年頃)留袖を持っている人は少なく、カネさんはババに自分の留袖を着付けたそうだ。両親がすでに亡くなっていたババだが、結婚式は兄弟や親族が婚家までの道のりを行列をつくり、歩いて進んだという。

カネさんは何でもできる器用な方で、とっても目の綺麗な評判の美人だったとババが言う。カネさんがメガネをかけていたので初めは目の前にいる人がカネさんだとはわからなかったようだ。だが、話をしているうちに昔がよみがえってきた。ババの体調が少し悪くなり、名残り惜しく思いながら結婚式の付添いをしてくれた幼なじみの家を後にした。
2006年06月30日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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