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介護サービス利用開始までの経過
認知症介護【66】
ババが介護サービスを利用するための手続きは 1).要介護認定の申請 2).主治医の意見書 3).訪問調査 4).介護認定審査会の認定を受ける 5).認定サービス内容を決める(介護サービス計画の作成) 6).介護サービスの利用開始という順序で進んだ。
1).要介護認定の申請自分で役所へ行き、説明を聞いた。その後3ヶ所のデイサービスを見学し利用事業所を決める。併設の居宅介護支援事業者を紹介してもらい、介護支援専門員(ケアマネージャ)が決まる。この時からずっと彼女にお世話になっている。とてもよい出会いでババは彼女が来るとニコニコ、活き活きとする。ケアマネージャさんとも相性があるらしいのでババは幸運だったといえる。
2).主治医の意見書(依頼するための診察を受ける)
どの先生にお願いしたらいいものか、悩んだ。救急で運ばれたA病院は遠いし、既に近医へ紹介してもらっているため難しい。また紹介してもらった現在通院中のB病院も大きすぎて敷居が高いような気がした。ホームドクターのように気安くお願いできるような気がしなかった。そこで思いついたのが、ババが長い期間かかりつけだったC病院である。
あらためてそこで診察を受けてお願いをしてみようと思った。4月11日(脳梗塞後23日目)ババと一緒にその病院に行った。受付を済ませると担当に今日の受診理由を聞かれた。実はかかりつけといっても長いこと受診していない。特に調子の悪いところがなかったからだ。簡単に考えていた嫁と何もわからない老女はあわれだった。その後受付より先へ進めず、目的を果たせずしょんぼりと帰るはめになったからである。
受付では途中からソーシャルワーカーも加わり、あれこれと長い時間話を聞いてもらったが、結局要介護認定のための診察はできないと言われた。理由は脳梗塞になった時に診ていないこと、現在はB病院に通院中であり、今後も心臓の病気があるのでB病院への通院を継続予定であること等だ。C病院には心臓血管内科のような専門医がいなかったからである。道理にかなっている。「帰ろうか!」と言ってUターンした私に「
どうしたの?どうしたのよ?診察を受けにきたんじゃないの?」とわけがわからずしきりにババが私に聞く。担当の方も気の毒そうな顔をした。私は何だかババがかわいそうになってきて泣きたい気分になった。
結果的にこの時の担当の方の判断は正解だったし、私達をベターな道に誘導してくれたことになった。今はおさまるべきところにおさまっているからである。

断られた翌日の4月12日(脳塞後24日目)に今度は我が家の家族が全員診てもらった事のある開業医の先生に事情とババの病状を説明し、診察して頂いた。初回と2回目の意見書をその先生にお願いし、3回目はB病院の心臓血管内科の主治医がご自分のクリニックを開業されたのでお願いをしてみた。先生はとても気安く引き受けてくれ、拍子抜けするくらいだった。敷居が高いなんて思わず初めからお願いをしていればよかったと思う。
主治医の意見書は認定期間が終了すると更新の度に必要になる。長いお付き合いになるのである。それから考えるとやはり意見書をお願いする先生は、今後ずっと通院する可能性のある医療機関の先生が一番よいと思った。
3).訪問調査4月21日(脳梗塞後33日目)認定調査があった。ババへの質問項目は思ったより多かった。自分の事を聞かれても、わからないものだから時々ババは救いを求めるような目をして、私に答えるよう促した。(答えるの?私が?)。。。私は最後にババの認知症の症状や身体の状態をメモにしたものを調査員に差し出した。認知症の場合特に一緒に生活をしている家族にしかわからないこともあると思ったからである。
4).介護認定審査会の認定通知申請日:2003年4月14日付
判定日:2003年5月8日
有効期間:2003年
4月14日〜2003年10月31日まで
要介護状態:要介護3
有効期間は判定日の5月8日からではなく、申請月日の4月14日からになるということだった。つまり認定前に介護保険を仮に使うことも可能なのである。もちろん介護度によって支給限度額が異なるので注意しなければならないが・・・。また初回の申請だったので有効期間は6ヶ月間だった。半年後にまた?と思ったら気が重くなったが、この時期は急性期で病状は安定していないし、変動の可能性もあるから仕方がない。
5).認定サービス内容を決めるデイサービスの利用について具体的に介護支援専門員と相談する。
6).介護サービスの利用開始5月23日デイサービス事業者が自宅訪問、正式に契約をする。5月27日(脳梗塞後65日目)より利用開始。
2006年05月06日 | 介護保険 | トラックバック:0 | コメント:0
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いつもと違う「敬老会」
認知症介護【67】
脳梗塞後認知症になってからの出席としては6度目となる「敬老会」に参加した。帰宅後、午後の9時を過ぎて3人とも目を覚ました。疲れていた私達はいつの間にかぐっすり寝ていたのである。1階に降りてババとお茶を飲んだ。
「
”敬老会”なのに本当に疲れたワ〜」ババの今日の敬老会の感想である。
今日は郷里の毎年恒例の行事「敬老会」が開催され、ババはいつものように招待され3人で出席した。敬老の日は9月なので違和感があるが、年に2回、5月と10月頃に郷里出身者で集う2つの会が「敬老会」を開催し、ババを招待してくれる。よほどのことがない限りババと一緒に出席することにしているのだが、70歳以上の高齢者の中でババは既に最高年齢者の域である。さすがに4〜5時間の行事に参加することは段々ババにとって負担になりつつある。それでも帰宅後はいつもとびっきりの笑顔で懐かしい郷里の皆に会えた事を喜び、参加できたことを感謝する。ババにその「時」を持ってもらうことで私達も満足してきた。
今回は実は参加できるかどうか心配していた。ここのところババの体調が今一つ良くなかったからだ。口内炎の様な症状があり、食事量が減った。口の中に何かあるようだとしきりにうがいをするようになり、食欲も減退、体力的にもダウンしてきたようだった。出たがりのババが最近はしんどいと外出を嫌がるようになっていたし、おまけに昨日は「気分が悪い」というので測ってみたら血圧も高かった。昼夜逆転ぎみになっていたこともあって昼間の行事への参加も不安なものがあった。心配の材料はたくさんあったのである。それに追い打ちをかけるような今日の「雨」だ。
無事敬老会が終わり、帰宅後ババに持ってもらいたかったその「時」を今日は持つことができなかった。初めてのことだ。いつものような感動がない。会場ではいつものように懐かしい方々が声をかけてくれた。ご自分のことを話してくれ、お名前をババに教えてくれる。だが懐かしみ感激してくれているその会話は一方通行になり、途方にくれたババは
「ごめんね〜物を考える頭がどこかに飛んでいってしまったみたいでね〜〜。パーになったみたいなのヨ!」と何度も繰り返す。
ババのペースにしては、目まぐるしかった。入れ代わり立ち代り挨拶に見える。その流れがますますババを混乱させた。いつもなら初めは思い出せなくても徐々に相手の方を認識してゆっくりと会話のできる世界へと入っていくその手順が踏めない。会う機会が多く、そのパターンでお話をしていた人ですら思い出せなかったのだ。
ババの認知症は確かに少しずつ進んでいるように思う。だが加速しているとは思えない。それなのに今日は例年のように会話ができることを喜び、その場を楽しむババの姿をみることができなかった。混乱、不安、あせりが先立っているようにも思えた。今日はババをそうさせてしまう環境だったのだろうか・・・。それともババの中でまた何か変化が出てきたのだろうか・・・。
2006年05月07日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症ふたりの「面会」(その1)
認知症介護【68】

「ハイ! お母さんこっちを向いてー!」幼なじみの2人を携帯のカメラで写そうとしたときである。私はババの目がうるんでいることに気づいた。「どうした?お母さん!」「
え?何でもないヨ」
敬老会の翌日にもかかわらず、今朝のババに疲労感は漂っていなかった。昨日とはうって変わり天気も快晴、日中の気温も予想では20度を超えるとのこと。私は今日こそババがずっと望んでいて先延ばしにしてきたことを実現しようと思った。ババの幼なじみ(ババより1歳年上)との面会である。ババに聞くと即答で「
うん、行こう!」が返ってきた。ババの幼なじみで従姉妹でもあるトキさんの娘さんに電話をかけ、トキさんが特別養護老人ホームに入所していることを確認した。場所は遠く、久しぶりに電車で出かけることになった。
「お母さん さっきトキおばさんの娘さんに電話したらねぇ・・おばさん、少し物忘れをするようになっているんだって!でも昔の事とかだったら結構覚えているらしいよ!」
「
そうかねぇ、じゃあ私と同じようなものかねぇ?トキ姉さんはハル姉さん(先月亡くなったババの兄嫁)とすごく仲が良かったんだけど、亡くなった事も知らないだろうねぇ・・・。教えないほうがいいかね?」
「う〜ん・・・どうだろうね」
私達は面会前に併設の病院の食堂で昼食を済ませた。お味噌汁と焼き魚を美味しいと言ってババは全部食べた。ババの食欲がない時、外食をするとなぜか食がすすむ。(私の料理がまずい??) 食後いよいよ特養に向かったのだが、トキさんもちょうど食事の時間だということで私達は2階の喫茶コーナーで時間をつぶすことにした。料金の支払いの時思わず聞き返した。「えっ?!250円?」コーヒー2杯と(インスタントではない)おつまみと喫茶コーナーのおばさんのおしゃべり付きで250円?自動販売機で買うより安い。気の良いおばさんに見送られてエレベーターに乗る。
3階のトキさんを訪ねた。広いフロアに丸いテーブルがいくつか置いてあった。トキさんが座っていた所は5人の方がテーブルを囲んで座っていた。私はトキさんの車イスの横にババの車イスを並べた。
この時までおそらくババは10何年ぶりかで会うトキさんとの「感動のご対面」を頭に描いていただろう。
2006年05月08日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症ふたりの「面会」(その2)
認知症介護【69】
「
トキ姉さん、私がわかる?」ババが聞いた。
「
・・・」トキさんは何も答えない。
「
▲▲▲(家名)のトキ姉さんだよね?私だよ!●●●のユナチだよ!」
「
・・・・・・」 トキさんが首を傾げる。
「
エ・・・・わからないのかねぇ?・・・」
「
姉さん、田舎に帰ってこようと思ってねぇ。最近お母さんが亡くなったから墓参りをしてこようと思うのよ。」 (ババのお母さんが亡くなったのはもう66年も前のことだ。)
「
田舎には帰らないほうがいいよ!」 なぜかトキさんがそう答えた。
「
・・・・・・」
「
姉さんの姉妹で、ほらあの一番下の可愛い人がいたでしょ?」
「
・・・・・・」
「
■■■のノリコはどうしているのかねぇ?○○○のハル姉さんは去年亡くなったよ!」
「ア、お母さん?ハル伯母さんが亡くなったのは先月だったネ」
「
姉さんとは7歳の頃から毎日会っていたね。草刈りも2人でよくしたねぇ」
「えっ?お母さん?草刈りって何のため?」
「
牛に食べさせるのに決まっているじゃない!アホだね!」

「失礼しました!ふ〜ん・・じゃ2人で一緒に刈っていたの?」
「
そうだよね〜?姉さん?」
「
・・・・・・」
「おばさん、この顔って見たことある?」私はババを指して聞いた。
「
うん、見たことあるよ」
「お昼のご飯はおいしかったですか?」
「
おいしかった・・」
「
姉さん、今も洋裁している?」
「
うん、しているよ」
トキさんはずっと洋裁をし、洋服店を営んできた。
その後もババはほとんど1人で話し続けた。話しかけても話しかけても反応は少なく、一方通行で会話らしい会話にはならない。
「
姉さんとは7歳の時から一緒に遊んでいたのよ。」
突然ババが反対側に座っている方達に話しかけた。誰も見ていないし、聞いていない。当然反応はない。それからまたババはトキさんの方を向いておしゃべりを続けた。まるで話の止め方を知らないかのようにずっとずっと1人で話し続けた。いけない・・・ババが動揺してしまっている。完全に平常の状態ではない。
私は嫁いでから何回かババと一緒に病院や施設などに面会に行ったことがある。でもババはあまり相手の方と落ち着いて話をすることもなく長居はしなかった。「さあ、もう帰ろう」と決まって私を促す。私はそれが不思議だった。優しく言葉をかけてゆっくりすることをしない。ババはクールなところがある人なのかなあと思っていた。
脳梗塞で倒れ、心にバリアを貼れなくなったババが私に打ち明けた。「
私は自分がこの歳になるまで元気で、大病を患ったことがないせいか、病気になった人の痛みやしんどさやつらさがわからないのよ。わかってあげられない。だからお見舞いに行っても何て言ったらいいのかわからなくてねぇ・・・。」 私が裸のババを知ったのはその時だ。そして長年ババのスタイルは保たれてきた。不器用なババ。そのババが今一生懸命話題をさがし、返事がなくても話しかけ続けている。ババにとってトキさんと一緒に過ごしてきた時代はかけがえのない、本当に大切な時代なのだろう。
私はもっと早くに2人を会わせてあげるべきだった。ババが過ぎた日々をトキさんと語りたいと夢中で話しかけているのに、その想いがかなえられない!幼い頃の思い出を共に語り合うことができない!すぐ側にいるのに・・・!私はどうしたらいいかわからなかった。せめて思い出に2人の写真を撮っておこうと思った。
どのくらいかの時がたち、ババが話し続けることをやめた。そして私に言った。「
もう姉さんも疲れるから、帰ろうか・・・」私が頷くと「
姉さん、もう帰るわね。また来るから・・・」とトキさんの手を握った。その時だ。突然トキさんが「
ワぅぅぅぅーーー!」と悲鳴にも似た大きな声で何かを叫んだ。あぁ、トキさんも何かを感じてるんだ!!認知症って何?認知症ってこんなにもつらいもの?苦しいもの?
帰り道、そして家に帰ってからもババは「
仕方がないわよね。もう2人とも100歳に近いんだものね。これが普通よね。しようがないよね。」「お母さんはしっかりしているよ!歳なりに物忘れはするようになったけど・・・。」「そう・・・」
夜、ババの部屋の戸を開けるといつもなら横になっているババがベッドに座り、聖書を広げていた。
2006年05月09日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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「会話」でどこまで読める?
認知症介護【70】
昨晩もババは熱心にトイレに通った。「ゼイゼイ」と苦しそうにしながら・・・。
ここのところ右上腕の痛みが続いているので、「イタ、イタ!」を連発。ああ、またか・・と思いながら下着の替えを出したり、掛け布団をかけたりした。私の頭は「フラフラ」でババも私も間違いなく睡眠不足だ。私が正社員でフルタイムの仕事をしていたら大変なことだ。午前3時ごろにはババが頭痛を訴えた。呼吸もいつもより苦しそうだった。ババが私に気を使う。
「
ここにいると眠れないから、どこでも眠れる所へ行ったらいいよ!」
「あら、お母さんが夕べここに寝てって言ったのよ。側にいてほしいんじゃないの?」
「
そんなこと、言ったかねぇ?」
朝の5時頃になってやっと寝息をたてて寝始めた。

午前6時30分朝食の時にヨシキがババに聞いた。
「昨日はしんどかったんか?」
「
え〜〜?そうでしたかね?別に〜〜。」
「眠れなかったんだろ?」
「
そんなことないよ!よく寝たよ!」
あんなにつらそうだったのに、覚えていない。それは定期の診察日に主治医に体調を聞かれても同じだ。痛かったか、苦しかったかと聞かれてもババの記憶の中にそのような体験はない。睡眠にしても短時間しか寝ていないのによく寝たと言う。
日常の生活の中ではもちろんだが、介護保険の「主治医の意見書」「訪問調査」の時の対象者が認知症だった場合、その聞き取りをされる方によってそれぞれ読み取り方が異なるだろう。不公平感やなかなか実態を知ってもらえないと不満に思っている人もいっぱいいると思う。
昨日私達の地域の公的団体でも医療、介護の現場関係者による「認知症」を学ぶための年間を通しての勉強会が始まると聞いた。これから・・・である。
2006年05月15日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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介護用ベッドの「サイドレール」
認知症介護【71】
療養環境の安全性の向上を目指して、「医療・介護ベッド安全普及協議会(
ホームページ)」が平成14年12月12日に設立され、「ベッドの安全使用マニュアル」が平成15年8月1日発行された。
転倒・転落などベッドに関連する様々な事故が報告され、サイドレールに関しても下記のような事故が起きている。
医療・介護用ベッドのサイドレールに関する事故について
(製品評価技術基盤機構・特記ニュースNo.47 2001/12/26)
医療・介護用ベッドのサイドレールに関する事故について
(製品評価技術基盤機構・特記ニュースNo.59 2003/4/16)
ババが使用しているベッドの取扱説明書には「
△警告」として下記の注意書きがある。
サイドレールは、ベッドで寝ている人の転落予防、寝具の落下予防を目的としています。立ち上がり時など、支えとしてお使いになる場合は介助バーをお使い下さい。サイドレールはベッドへの取付け、取外しが素早く行えるように、ストッパー機能は付いておりません。体重がかかっている状態で抜けると転倒してけがをするおそれがあります。
注意すべきは、サイドレールは起き上がりや移動・支えのために握るものではないということ・・・そのことによって怪我をしても業者に責任はなく補償はしてもらえないということを聞いた。使用する側は自分たちで気をつけないと事故がおこってからでは遅い。
ババの右上腕に打撲のような痕があり、痛みを訴えるようになってから何日かたつ。サイドレールを疑って昨日クッションになるものを巻きつけた。
ところで、昨年2005年12月22日午前5時、ババは
サイドレールを取付けなかったためにベッドから転落。「ドサっ!ガっタン!」という大きな音で目を覚ました私の目に、右前頭部をこたつの角にぶつけ、押さえているババの姿が映った。原因は・・・アホ嫁だ。
2006年05月16日 | 介護用品 | トラックバック:0 | コメント:2
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お互いを「活かす」
認知症介護【72】
先日知人より「竹の子」を頂いた。市販されている一般的な「竹の子」ではない。名前はわからないが田舎にある細長い竹だ。ババは右腕が痛かったのだが、こういうことはババの方が得意なので私達はババの号令で「竹の子」の皮をむき始めた。

ババは畑で作物を作り、その野菜の下ごしらえをする・・・そこまでは得意だ。活き活きしている。でもその先が不得意なのだ。料理である。もちろん料理を「しない」わけではない。だが、まちがっても「料理が好きです!」なんて言えないだろう。レパートリーも少ない。できれば調理などしたくない。
息子が結婚した時、ババはきっと嫁に期待したにちがいない。これで料理とはおさらばだ。嫁がきたのだからと・・・。70歳を過ぎてもババは仕事を続けた。そして嫁に小遣いをくれた。ババは結婚当初から「
仕事をするんだったら午後3時か4時には終わる仕事をしてね!」と言い続けた。そうすれば買い物をして家に帰り、余裕を持って夕食の準備に取りかかれるからだ。
だが、ババのもくろみはみごとにはずれた。嫁いできた私はババに似ていた。料理は不得意、好きでもない。おまけに自分のやりたいことをする。一番長く続けた仕事は9:00〜18:00までというババが悲鳴をあげそうな勤務時間だった。いやおうなくババは夕食のほとんどの準備をすることになり、お米洗いなどは脳梗塞で倒れる前ぐらいまで続けてきた。ババとヨシキの不幸は料理の不得意な嫁にくじがあたったことかも知れない。
私はフルで仕事をしてみたいなと思うこともある。だが今の状態に不満はない。ババには感謝しているからだ。「竹の子」と格闘しているババを見てふと思う。本当に長い間私のわがままを通させてくれ、好きなことをさせてくれたと・・・。今私はババがやりたいこと、望むことをできる限りアシストして実現させたいと思っている。お互いを活かすってことは「同時に両立」でなくても、例えば時間差のある「活かしあい」ということでも成り立つのではないかと思った。
2006年05月18日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症改善のきざし?
認知症介護【73】
認知症の?わからない。だがババの頭の中で確かに何かが変化し始めた。
2003年4月13日(脳梗塞後25日目)微妙だが何かが変化し始めた。大きな症状は相変わらずで、左手とのおしゃべり、服が着れない、靴がはけない、安全に歩行ができない等は続いている。夜間は相変わらず頻尿でトイレ介助は続いていた。だがこの日初めてババは寝ている私を気づかった。静かに自分で用を済ませたのである。
4月14日(脳梗塞後26日目)「さくら園」からの帰り道、ババは「
スーパーに寄ろうか」といい、2人で買い物をすることにした。ババからすすんで誘ったのは、これも初めてだ。ただ中に入ったらどんどん手押し車を押して先に進んでしまうので、入り口付近で待っていてくれるように頼んだ。ところが耳に入っていないのか理解できないのか、私がレジをすませた時にはババの姿はなく、私は焦ってさがし回ったが見つからない。まさかと思いながら外にでて自宅の方向へ急いで向かった。しばらくして私はずっと目の先に手押し車を押して歩く見覚えのある後姿を見つけた。ババは何事もなかったのかのようにケロッとしていた。
4月15日(脳梗塞後27日目)画期的(オーバーかなぁ)である。ババが初めて炊事場に立ち、「茶碗洗い」をしていた。そしてこれもまた初めてである。ババが自分から「
風呂に入りたいねぇ」と言ったのだ。
4月16日(脳梗塞後28日目)私は何かあった時のために役所から借りていた「車イス」を返却した。もう必要なさそうだったからだ。そして同日例の介護保険利用のための下見にババとデイサービスの見学に行った。前述(認知症介護【65】)したが、ババは興味がわいたようで楽しそうだった。
ババが心に大きな衝撃を受け、乱れたのはこの日から4日後の4月20日(脳梗塞後32日目)のことである。
2006年05月20日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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「不安」の始まり
認知症介護【74】
2003年4月20日(脳梗塞後32日目)認知症のさまざまな症状が出始めていたババ。だが自分の変化に気づくこともなく、何もわからないまま時は過ぎていた。そのババが初めて自分の異変に気づいたのが4月20日である。ババはまるで大病を宣告されたかのように蒼白になり、取り乱していた。ババの誇りはズタズタになり傷ついていた。
自分がこんなことをするなんて!本当に自分がやった事だろうか?
しかも全くわけがわかっていない。自分のやっていることに気づくこともなく・・・。自分は何だかおかしい?!ババはかなりショックを受けていた。

ババは私に泣きそうな、情けなさそうな声で言った。
「
田舎に私を送って行って・・・。どこか施設にでも預けてちょうだい・・・。」
「お母さん?一体どうしたの?」
その日私は2階で、「
チー!チー!」と私を呼ぶババの声を聞いた。だがすぐにあることに気付き、階段を駆け降りた。外にいたババは私を呼びながらお隣の家に入って行ったのだ。奥さんがびっくりして応対している。あわてて迎えに行った。ババは「
どうしたんだろうねぇ?」と言いながら自分の家に戻った。その頃のババは外出先から帰ってきても自分の家がわからずよくお隣さんのフェンスを開けようとしていた。
そして午後、家の中で便の臭いが漂っていることに気づき、臭いの元をたどった。便の固まりがトイレ〜廊下〜ババの部屋〜ババの足背部まで点々と続いている。まずベッドに腰掛けているババの足をウエスで拭き始めた。ババはびっくりして「
どうしたのよ!何しているの?!」「便がついているから、拭こうね。」「
え〜〜?!」と自分の足元を見つめた。「
・・・」ババは足に便がついていた事にも気づいていなかったのだ。全部拭き終わった時、ババは深刻な顔をして切り出した。
「
こんな調子だったら、この先チーにもっと迷惑をかけることになるかも知れない。チーも苦労するよ。自分で自分のことがわからないのだから・・・。こんなこと・・・。」「何を言っているの!大丈夫よ!」
ババの認知症の病状はこの頃が一番重かったかも知れない。だが、同じような「不安な時間」はその後も時々ババを襲う。今もゆるやかに進行していると思われる認知症。ババの頭の中で「不安な時間」はどのように形を変えていくのだろう。いつか「自分はおかしいかも知れない」という不安な思いは、その思考の中から消えていくのだろうか。「不安」という感情だけを残して・・・。
2006年05月24日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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認知症改善の分岐点
認知症介護【75】
ババの認知症が改善方向に向かった分岐点は、脳梗塞後1ヶ月前後だったように思う。
4月17日(脳梗塞後29日目)薬の数は毎日忘れている。
朝起きると、その前日に田舎にいる甥が上京してきたと言う。(実際はそんなことはない。)
隣に寝ている私の毛布を自分が寒いから掛けてくれと言う。(そんな〜〜私はどうするの?)(^_^;)
4月18日(脳梗塞後30日目)黒砂糖をババが(ババの)お姉さんのために買いたいと言うので、ババがいつも買っているお店に行くことにした。ところがババはその店の場所がわからない。二人でウロウロ。やっとの思いで見つける。が・・・家に帰ってくるとババはその袋を開け、自分で食べてしまった。
4月19日(脳梗塞後31日目)ババは脳梗塞後、あんなに大好きだったテレビを見なくなっていた。不穏なニュースなどは特に嫌がり、私は見ていたテレビを消すように言われた。
夜中にトイレに行くため、廊下側でなく外側(戸外へ出てしまう)のサッシを開けて出ていこうとする。
靴下の対がわかるようになる。
4月20日(脳梗塞後32日目)自分の行動に不安になり、ショックを受ける。
(認知症介護【74】参照)4月22日(脳梗塞後34日目)初めて「
食べ物の・あ・じ・がする」と言う。
このあたりから夜間の排尿の間隔が長くなり、ポータブルトイレを片付ける。
(脳梗塞後40日前後)ボタンかけが50%くらいできるようになり、道路の歩行も安定してきた。常にではないが、ズボンも前後をまちがえずはけるようになってきた。
2006年05月25日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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