[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
脳血管性の認知症_症状
認知症介護【32】
脳血管性痴呆
脳梗塞や脳出血、クモ膜下出血の結果生じる痴呆。病変部のみ損傷を受ける結果の痴呆であり、そのあらわれ方は部分的で脳の全般ではない。
そのためまだら痴呆とか、ざるの目痴呆などと言われる。
痴呆の40%を占める。(欧米では30〜40%)(男性>女性)
記憶障害が大きいが(短期、長期記憶は低下するが超長期的記憶は比較的保たれている)、人格(その人らしさ)は保たれ比較的、理解力、判断力は残る。
計算力は低下する(電車の切符が買いにくい、お釣りが幾らか分らない、特に掛算、割算が出来ない)。
感情(喜怒哀楽)のコントロールがきかなくなる場合がある――少しのことでも感情がたかぶり涙を流したり、怒り出したりする。
言語障害(失語症)、片麻痺知覚障害を伴うことがある。
病識(自分が病気であるという意識)は割合にある。そして身体の不自由や記憶力低下を嘆き、周囲への迷惑を気にする。
抑うつ症状(憂うつ症状)も出ることがある。
末期には高度の痴呆状態に陥り、脳卒中発作や肺炎が死因となる場合が多い。
脳への血流がうまくいく時といかない時により普通に会話のできる時とつじつまの合わない時がある。そのため、勝手ぼけ(自分の都合が悪くなると、ぼけたふりをする)などといわれるが、勝手ぼけではない。
「よくわかる高齢者の心理 近藤 勉著 ナカニシヤ出版」P69より引用
2005.4.30 初版第8刷発行
ババの場合もあてはまる症状が多い。
それから勝手ぼけの話も聞いたことがある。よその人にはとても認知症だとは思えない程しっかりした対応をするので、お世話をしているお嫁さんや家の人が気を使うといったことがあるそうだ。

でも、私はついこの前聞いた。「
気を許している人の前ほど 認知症の症状が出るんです」って!!
と・い・う・ことは・・・近い将来ババはいちばんに私を悩ませ、困らせ、翻弄させるってこと??(^-^; (ハハ、大きなウヌボレです)
2006年03月11日 | 脳血管性の認知症の症状 | トラックバック:0 | コメント:2
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
撤退の時期
認知症介護【33】
昨日も私は山盛りに盛られたご飯の下敷き・・・。イメージ(変?)がわかないだろうか?でも本当にそんな感じなのである。しかも山盛りに盛る人には全く悪意がない!自分で盛ったことすら覚えていないのだから・・・。私が今寝ている場所の足元にはチェアがあり、その向こう側にポータブルトイレ、そして足元右の方向に廊下へ出る引き戸がある。枕元はテーブル(コタツ)が置いてある。つまりテーブルとチェアの間の狭い空間に丸くなって寝ているのだ。その空間はまさに物を押し込むには格好の場所なのである。
初冬にババの掛布団も通常よりボリュームのある羽毛布団に変えた。ババは夜間もトイレに行くため頻回に起きる。でもフカフカの羽毛布団は自分の足元や左側に押し込んでもまたババの頭を目がけて落ちてくる。そうなると楽な方向は・・・。そうなのだ。ベッド下の、しかもトイレ方向でない方へ落としてしまうのが一番楽で手っ取り早いのだ。早くトイレに行かないと大変なことになるのでババも必死だ。掛布団、毛布と落し終わると目的地へまっしぐら!ババがベッドに戻ってくる頃私は自分の上に積み上げられた布団をどかして起き、ババにまたフトンを掛け直すのがいつものパターンだ。引き上げるのが大変なのでババは自分ではフトンを掛け直すことができない。

いつものようにババがベッドに戻ってきて腰掛け、まだ起きない私をジーと見つめ言った。「
ホントに昼も夜もよく寝るねぇ〜〜!うらやましいねぇ。もうおなか空いたよ。早くヨシキを仕事に出さなくてもいいの?世の中にこんな奥さんもいるもんだねぇ〜。わけがわからないワ・・・。」・・この〜〜!「まだ3時だよ〜!」
寝ぼけとイジワルが手伝ってフトンに埋もれたまま私はまた夢の世界へ。ババも何も言わずそのまま寝た。が、しばらく経って飛び起きた!
「
何で?自分だけフトンの中に寝て、人にはこんな寒い思いをさせて〜〜!どういうことなの?!!」
早く暖かい春がこないかなあ〜。2階へ引き上げだ〜〜!。思いっきり手足を伸ばして寝よー。もちろん疲れないように今でも時々脱出しているが・・・。撤退・・・ふと思った。イラクの自衛隊は春には撤退できるのだろうか。彼らにも早く手足を伸ばして熟睡できる日々がきてほしい。
2006年03月12日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
左半身は「自分」ではない!
認知症介護【34】
2003年3月23日〜後遺症の中で、いちばん大きかったのはババにとって左半身が「自分」でなくなったことだ。いつも側にいるのにそれは自分の体の一部ではなく、別の人格なのだ。左の存在を忘れてしまったといえばよいのだろうか?
食事前、トイレに入ったババが大声で怒鳴っている。怒っているみたいだけど何を怒っているんだろう?ん?何だろう?次の瞬間私たちは耳を疑った。

嘘でしょ?
「
何やってるの!行儀の悪い!ちゃんとしてよ!!」
思わずドアを開けて見るとババが自分の左手をたたいている。あわてて止めた。
どうもトイレの中でババの行動を左手が邪魔をするらしい。・・・ババは一人芝居でもしているの?・・・だが芝居でないことはじきにわかってきた。
食事中も左手が勝手に食べ物の上に手をのせたり、いうことを聞かないと言って私達の目の前で左手におしおきをするのである。パシッ!パシッ!
ババの部屋におやつを持って行った時だ。
ババが左手を指して言った。「
これにも何か食べさせて」・・・やさしいなぁ(^_^;)@(-。-) ハフゥ〜

ババは自分といつもくっついて行動し、側にいてくれる友人を得た。ババの話し相手は約3ヶ月間ババの側にいて、そして去って行った。脳梗塞で倒れてから3ヵ月が過ぎた頃、完全にババの「左手とおしゃべりをする」という症状は消失した。
2006年03月13日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
おお〜色っぽい〜!
認知症介護【35】
2003年3月23日〜
下着もブラウスもコートも・・・わぉ〜〜片袖ぬき〜だ〜。左手を忘れてしまったババ。服を着るときも左は存在しない。急性期ユリさんも多くの日、一緒にいてくれた。2人で幾度目をまるくしたことか・・・。
不思議なことに姿見の前でその色っぽさを見ても気づかないババ。左袖を通すことを忘れてしまっただけじゃなくて、その姿を見ても
それが普通ではないということがわからないってことなんだ!
ズボンをはいて「
ウ〜ン・・ウ〜ン・・ウぅウ〜ン!」な、なんだ〜〜?ババ、1本入れるところに2本の足を入れているヨ〜!靴下?右と左じゃ色がちがうよ〜!靴下の対は1ヵ月後にわかるようになった。ズボンの片足への両足突っ込みは今でもたまにやっている。困ったことには急性期より賢くなって、足が抜けないものだからハサミでズボンの上を切ってしまった。
袖の左抜きの技は現在もたまに使う。遠山の金さん?みたい。急性期、下着から数えると幾重にもタスキがけみたいになっているので、ヨシキが指摘するとさっさと「
我が家へかえろー!」と自分の部屋に逃げ帰ろうとする。それでも襟をつかまれて失敗。すごすごと椅子に戻ると、ヨシキの「この指はな〜んぼんだ?」のクイズが始まる。馬鹿にしないで!
2本を1本と言う。ババは視野も障害されていた。
2006年03月14日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
早期離床・早期リハビリ開始
認知症介護【36】
2003年3月20日〜ババの左手は完全にもと通りになったわけではない。今でもたまに食べ物の入った食器の上に手を乗せていることもあれば、物をギュウッと握り締めてその手を離すように頼んでも離さなかったり(離せない)する。

左手がババの意思で動かせないことや、「何かを触っている」ということがわからないのだと感じることは時々ある。それでも急性期の頃を思えば随分回復した。
ババはいつ頃から体を動かし始めたか?入院2日目には痴呆症状らしきものがでて、ベッド上で動きまわっていた。その時点ですでに安静の状態ではなかった。またバルーンカテーテルが留置されていたものの本人は「寝たまま勝手に」を納得しなかった。私もストレスが溜まると思い、留置した状態でポータブルトイレに座らせた。勝手に流れるから意味はないのだろうが、本人は排尿を済ませたという満足感を味わい、納得した。もちろんババが「一過性脳虚血発作」だったからできたことかも知れない。このことに関しては私は「勝手に自己判断で」行った。あくまでも「安静度」については医師の指示に従うべきだろう。

さて、左手を忘れてしまったババ。ボタンを掛けることができない。退院後間をおかず訓練を始めた。左手がうまく上がらない。手を添えて左手を上げ、一緒に上着の第一ボタンから掛ける訓練を始めた。上から順番にボタンとボタン穴の順番を確かめ、ボタンをつかむこと、ボタン穴にそのボタンを押し込んで上側から取り出すこと、そこからゆっくり下に手をずらしていって第2ボタンを確かめまた同じ事を繰り返す。初めのうち、左の指は細かい動作が出来ず、ボタンをつかんでボタン穴に押し込むこともできなかった。そのため右手にボタンを迎えに行ってもらい、右手で押し込み、引っ張り出す。左手はただ添えていただけの状態だった。
なかなか簡単にはできなかった。それを根気よく、根気よく続けた。脳梗塞後40日前後でボタン掛けは50%位、ズボンは前後を間違えることなくはけるようになった。
66日目の2003年5月24日初めてババが自分で完全にボタンを掛け、ズボンも合わせて完璧な身支度ができた。時間はかかったもののボタンを掛けるという動作はできるようになった。ヨシキと2人で「
やったー!できたね〜!」・・・あの日の喜び、感動は忘れられない。やればできるようになるんだ!
その後はうまくできたりできなかったりで、掛け違いは今でも時々やっている。しかも上着のボタン穴に肌シャツのボタンをかけたりもする。それでも左手が一緒に行動してくれることは感謝だし、ここまで頑張ったババも大したもんだ。

リハビリの開始(参考) 2004/6/15 「読売新聞/医療と介護」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20040615sr11.htm
2006年03月15日 | 脳梗塞の早期リハビリ | トラックバック:0 | コメント:0
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
「認知症ババ」はホームカウンセラー
認知症介護【38】
気分はブルー・・・消化できない。3月16日 WBC2次リーグ、日本―韓国戦終了後である。
ババの部屋の戸をあけた。まっ暗だ。何だ、また昼夜逆転?
私に気づいたババが「
ここに来て寝てもいいよ」とババの横で寝る許可をくれた。まだ夜じゃないんだけど・・マ、いいか・・今はともかく動き回る気力はない。テレビをつけた。
「野球負けてしまったわ。ショックだよー!どうしよ〜〜?」
「
勝負事はね、勝つか負けるかのどちらかだからネ、しょうがないよ。一度は勝つか負けるかしないといけないんだから。」
「う〜ん、でもね〜悔しいワ。イチローがかわいそうだよ」
「
本人がいちばんショックだろうヨ」
「うぅ〜ん、でもねぇ〜」
「
潔くしなさい。いさぎよく!負けたら次は勝つようにしたらいいのよ!」
「・・・」
「
さあ、早く田舎に帰らなきゃ・・・。どのくらい準備できてるの?」
「お母さん、今日はそれどころじゃないよ。今日は寝れないよ。ほら、テレビを見て!テレビでもやってるよ。みんなショックなんだよ。それでもまだ少し望みはあるんだって!明日の試合の結果によっては・・・なんて言ってるよ」
「
未練がましい!!」
グズグズする私に比べ、ババは脳梗塞になる前から「動じない」性格の持ち主だ。少々苦しいことがあってもクール(に見える)に受け止め、つらそうではない。私のグズグズ発言をバサッと切る。同情してずっとずっと私のグズグズ話に付き合ってくれないことを不満に思ったこともある。ババは人の気持ちがわからないんだと・・・。

だが「日常の」小さな悩み事でなく、本当につらくて苦しくて自分でどうしようもない大きな出来事にぶつかった時、ババの「動じない反応」は幾度も私を救ってくれた。ただの相談相手ではなく、ババは我が家のホームカウンセラーといえるかも知れない。
2006年03月17日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
決断
認知症介護【39】
「30日はよろしくお願いします。」「米寿祝い」の司会・進行をお願いしていた従兄を訪ねた。脳梗塞発症後である。
後日届けられた資料とともに添え書きがあった。
「この度伯母さんの米寿祝が誕生日の3月30日、ヨシキ・チーちゃん夫婦主催で開催される事大変意義有り、内輪の一人としてたいへん喜んでおります。私も母が2年前に米寿でしたがご承知の通り半身不随でできませんでした。伯母さんが米寿を迎えられた事を皆でご祝福してあげましょう。」
従姉妹も声をかけてくれた。「伯母さんのための企画ありがとう」「皆でいいお祝いにしようね!」
2003年3月4日〜2003年3月17日にかけて我が家には次々と返信はがきが届いていた。2003年3月30日開催予定の「米寿祝い」の出欠の連絡である。誰の?・・・ババの米寿祝・・・。ババが倒れたのは2003年3月19日。4日間の入院。自宅に帰ってきたのは3月22日。状況が目まぐるしく変わり、ババの後遺症も次々と姿を現し始めていたその時期。私達は8日後に迫ってきた行事の「決行」か「中止」かの決断を迫られていた。
私達は脳梗塞患者のベテラン看護人ではない。初心者である。退院時に主治医から「動脈の狭窄があるので、再発の可能性は大です。爆弾をかかえているようなものです。」と言われている。病気そのものに対する不安は大きかった。もし、万が一のことがあったら・・・?実母に電話をした。「そうなの・・・よく大きな寿の祝いの年に倒れたとか亡くなったとか聞くことがあるけど・・そういうものなのかしらねぇ〜」・・・そういうものなのか??・・・。

迷いの中で私達はババの幸せは何かを考えた。普段親族一同が揃う機会はなかなかない。ババは皆と顔をあわせることのできる「場所」が大好きだ。そこで主役だとなおさら誇らしげで嬉しそうな声が会場中に響き渡る。年齢や今の状況からして次の機会は「ない」かも知れない・・・。
私達は「米寿祝い」決行に向け、もしものことが起きた場合にも対応できるようその準備にとりかかった。
2006年03月18日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
「ムダ」 な時間
認知症介護【40】
2003年3月27日ババと紹介状を持って近くの病院へ向かった。どうしても「米寿祝い」の日までには通院先を決めておく必要があった。退院後のババは「ぜいぜい」もあり、体調も悪くつらそうだった。私はババに付き添い、夜もババの部屋でポータブルトイレの排泄を介助していた。
受付で紹介状を渡し、受診手続きを済ませる。紹介状の宛先は「脳神経外科」だった。ここで受診科をまちがえたことによってあとで実に不愉快な思いをすることになる。受付では「?」という表情はされたものの、私達はそのまま脳神経外科の受付を案内され、診察の順番を待った。その間も車椅子に乗ったババはしんどいみたいで、気が気ではなかった。どのくらい待ったか、やっと名前を呼ばれて診察室に入った。
忙しそうなドクターは私達を見るなり、イライラしながら説明を始めた。何の説明?「脳神経外科」がどのような病気を扱い、どのような患者さんが対象で、どのような時に受診すべきか云々を・・・である。そして結論・・・ババは「脳神経外科」ではなく「神経内科」を受診すべきである。・・・私はババの車椅子を押して診察室を出た。

確かに正論だ。でもその説明は今の段階で、診察室で行われるべき行為なのだろうか?!
ドクターにとっても私達にとっても実に「ムダ」な時間ではなかったのか?!
そんなことより患者を優先してほしかった。健康で病院に来ている患者はいないはずだ!!・・・しかし病気を抱え、不安な患者の立場は弱い。ムカムカッと湧き上がる怒りを押さえながら「神経内科」の受付へ回った。
2006年03月19日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
▲ページトップに戻る
[介護ROOM-認知症の介護&憩いのひととき-]HPへ
脳梗塞発作の原因へ近づく
認知症介護【41】
2003年3月27日「腹立たしさ」を覚えた同じ病院で「神経内科」、「心臓血管内科」を受診した後、今度は私の頭の中を「感謝」という文字が飛び交っていた。2科の先生の診察時間・説明は私を納得させ、気持ちを落ち着かせてくれた。

「神経内科」を受診した。病院の特性もあってババのケースは長くフォローはできないと言われた。それでも発作後間もなく、不安なので短期間でもということでお願いをした。その間MA&MRA等の検査をしましょうということになる。検査日は約1ヵ月半後の2003年5月15日になった。ババの現在の症状(全身倦怠感があり、「ぜいぜい」と苦しそうだ)を先生に伝えると「心臓血管内科」受診を勧められ、今度はそちらに回った。
現在の主治医との出逢いである。この受診によって、初めてババの心臓の持病を知ることになる。先生にババの症状を説明した。そして前の病院で処方された投薬内容が変更された。やはり「水分」がこたえていたのだろうか。処方された利尿剤を服用するようになってからババの倦怠感が軽くなっていった。「心臓血管内科」では2003年3月31日に「心臓超音波検査」の予約をし、帰宅した。
結果的にその後の5月15日の検査で「多発脳梗塞」「右内頚動脈狭窄症(狭窄著明)」であると診断された。そして「心臓血管内科」での受診・検査(3月31日)により「心臓弁膜症」「心房細動」があることがわかる。「神経内科」で精査をしてもらえたこと、「専門科」へ回してもらえたことで今回の発作の形が具体的に見えてきたのである。
投薬内容の変更
【内服薬】バイアスピリン錠、シグマート錠、セルベックスカプセル【外用薬】ニトロダームTTS

【内服薬】ワルファリンカリウム錠、フルイトラン錠、サアミオン
2006年03月20日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
▲ページトップに戻る