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待ち時間
認知症介護【23】
2003年3月19日医師からかなり大きな脳梗塞であることを告げられたのは、頭部CT等搬送直後の検査が終わった段階である。家族への説明は、少し時間をおいて行われる「MRI」の検査後ということだった。
その時は重度な脳梗塞の予後など想像もできなかったし、考えている余裕はなかった。ただ母に何かあれば夫に申し訳ない、命だけは助かりますようにとそれだけが頭にあった。ともかく命に支障はないんだ。張り詰めていた気持ちが少しゆるみ、ホッとする。夫が到着するまでまだ間がある。翌日仕事が入っていたので、勤務先に連絡をし休暇をもらった。
まもなく夫が病院に到着した。彼も気が気ではなかったのだろう、表情が緊迫していた。連絡を受けた時の心中は容易に想像ができた。道中ずっとババの無事を祈り続け、心で叫び続けたという。夫に経過を説明し、検査終了後に説明をするので呼ばれるまで待つように言われたことを伝えた。

「二人一緒」の待ち時間は張り詰めていた「孤独」から解放された時間でもある。
現実の生活の中で私達夫婦は仲がいいとも言われるが、よく口喧嘩もし、お互いに言いたいことはたくさんあるし、価値観も違う。
当たり前のことだが全く別々の人間だ。だがこの時はまさに一心同体だった。二人が同じ気持ちで、同じ「とき」を持ち、同じ「とき」を待った。
2006年03月02日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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息子がわからないのかー!!
認知症介護【24】
2003年3月19日「
本当ですか?」 私達は思わず聞き返した。ババは救急で運ばれた直後よりも症状がどんどん回復し、検査中に麻痺の改善が認められたというのである。「MRI」の検査後の病状説明で、私達は担当医から「一過性脳虚血発作」であることを告げられた。
ただし、「右中大脳動脈」ににかなりの狭窄があるということだった。先生は続ける。「 しかし、かえって今後安心はできませんよ。爆弾をかかえているようなものです。様子観察で1週間入院していただきます。心臓も弱いようですが、今後の治療は脳梗塞を主とした治療を行いますが、よろしいですか?」
脳梗塞の治療には水分が必要だが、逆に心臓に水分過多はよくないらしい。心臓?よくわからない。でもきっとこれが最善なのだろうと思った。「よろしくお願いします。」と私たちは診察室を出た。
「ICU」に面会に行った。無菌室ということでマスクをし、頭のキャップをかぶるとババのベッドサイドに立った。声をかけた私たちは次の瞬間目を見合わせた。

「オカンー!(母の呼び名)
わかるか?俺だよ。」
ボーとしていたババは首を横に振り
「
ん…?・・わからないんだけど・・。思い出せない・・誰だったかねー?」
な?何て?頭の中で何かがグルグル回り、わけがわからなくなった。嫌な予感。私はババを見つめた。 「
何で!?オカンー!俺だよ!ヨシキだよ!息子がわからないのか?!」夫の声は大きくなっていた。
脳梗塞に関してとても参考になるおすすめサイトです【脳梗塞に新薬 tPA】 (2005/10/25 「読売新聞/医療と介護」)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/saisin/20051025ik14.htm
2006年03月03日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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マスクとキャップ
認知症介護【25】
2003年3月19日思わず二人ともベッドに身を乗り出していた。
まさか?!そんなはずは・・
「 オカン!本当に俺がわかんないんか?ここにいるのは
チー(私の名)だよ!わかんないんか?」
「
あ〜〜・・・ヨシキ(夫の名)かぁ〜!」・・
えっ・わかった?・・「
何で・・・?どうしたの?ここはどこ?何で私はこんな所にいるのかねぇ?」・・・何のことはない。息子がわからなかったのは
マスクと
キャップのせいだったのだ!(-o-;)
ババの目にはマスクとキャップをつけ、ギラギラした目で呼びかける私達が異様な人種にでも映ったのだろう。ましてマスクを通して叫んでいるので、普段聞きなれた"声"ではなかったのだ。
「ICU」ということもあり、付き添いは不要ということだった。私達は病院を出た。
突然の発作・・
大きな脳梗塞かも・・
急速な回復・・
動脈の狭窄・・
息子がわからない・・私達の1日が終わった。翌日からまたさらなる変化の日々が訪れることも知らずに、帰宅後入院に必要な物品を揃えていた。
2006年03月04日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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認知症・・・始まりの”その日”
認知症介護【26】
2003年3月20日「 先生とお話をしたいのですが・・・退院を・・・」 私は部屋に入ってきた看護士さんに頼んだ。
入院2日目、ババは「ICU」から一般病棟に移った。その日は心臓の検査予定。ババの治療は24時間の持続点滴。そしてバルーンカテーテル留置。
ババの姪である従姉(ユリ(仮名))が車で駆けつけてくれた。「
ユリ、車でしょ?もう家に帰ろうー。連れて帰ってくれる?」ユリさんが声をかけるとババは言った。「
今日はサクラ園(仮名)に行くよ!」ババは家に帰りたがった。そして時々通っている老人福祉センターの分館(サクラ園)に行くのだという。私はしばらく入院しなければならないことを伝え、帰るといって聞かないババを何とか説得した。

だがしばらく時が経ってから・・・ユリさんと私は思いもかけないババの言葉を聞く。耳を疑った。ババが私に「
そこのタンスから着物を出してくれる?」というのである。「お母さん、何言ってるの?ここは病院だよ!タンスなんかないよ!」「
何で?そこにあるよ!」「ここは家じゃないヨ!病院だよ。あるわけないじゃない!」それだけではない。「
その植木に水をかけて!」「そんなもの、ないよ!?」・・・
昨日の「マスクとキャップ」どころではない!ババが本当に現実を失ってしまった。私は否定してもわかってもらえないという現象に・・・初めて出会った。いくら説明しようが、何を言おうが無駄なのだ。私は自分の頭の中で何をどう整理していいのか戸惑いを隠せなかった。ユリさんもそうだったに違いない・・・伯母さんの信じられない状態、現実。
前に聞いたことがある。お年寄りは入院をして環境が変わると一晩でボケてしまうことがある。そして翌日家族は決まったように言うそうだ。「昨日まではこんなんじゃなかったのに!」・・・それとも脳梗塞の後遺症?
結局担当医はその日は手術日で時間がとれず、翌日は祝日のため先生はお休み、翌々日の3月22日朝一番に時間をとりましょうということになった。
2006年03月05日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:4
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ババの「ストレス」と「拘束」
認知症介護【27】
2003年3月21日入院3日目ババの様子が気になり、私は早朝病院に向かった。
病室に入ってすぐ私は息をのみ、言葉を失った。私の目に飛び込んだ光景は・・・。何とも言いようのない・・言葉で表現ができないほどの・・・あァ〜・・お母さん!・・何という・・・。ショックだった。

ババはほとんど素っ裸に近い状態で「寒い、寒い」と震えていた。右手は点滴のルートがとられ、毛布や掛け布団は足元に折り返してあった。ババが自分でその布団を取り、掛けることは不可能な状態だった。ババは人一倍冷え性で寒がりなのに・・・。
職員に電気毛布を頼んだ。すると職員がババの左手側に回った。気がつかなかったのだが、ババの左手は縛られていたのだ。職員によると「トイレに行くといって聞かなかったり、とにかく体動が激しくて危なかった」という理由だった。
電気毛布を借りると、私は「お母さん、寒かったでしょ?寒かったよね?」と言いながらババに布団を掛けた。何もわからないババは後で私に繰り返し言った。「
寒い、寒いって思っていたら親切なお医者さんがきてね〜布団をかけてくれてねぇ〜ありがたかったわぁ〜!」
同室の患者さんによるとゆうべはずっと寝ないで「
ユリを呼んでー。家に帰るからユリを呼んでー。チーはいないの?チーを呼んでよー」と叫んでいたという。あ〜ぁ〜同室の方達も寝れなかったんだな・・・。私は同室の方に謝った。そして心の中でババにも謝った。家に帰りたくて・・寒くて・・点滴やらバルーンやらいろいろつながれて・・・ごめんね。ごめんね。
家では自由に寝返りができ、制限されることもない。それが治療のためとはいえ、24時間の持続点滴やバルーンカテーテルが留置された時、私ならどうなるのだろう?やっぱりババみたいにストレスになるだろう。そして昨今大きくクローズアップされている身体拘束。本人、家族、そして医療・介護側それぞれの立場で考える必要のある問題だ。理屈を抜きにすれば、家族としてその場面に出くわすことは本当につらく、心が苦しくなるものだ。

介護施設の拘束について(参考) 2005/12/18 「読売新聞/医療と介護」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20051218ik07.htm
2006年03月06日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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退院 さあ帰ろう
認知症介護【28】
2003年3月22日いよいよ先生とお話のできる日。
昨夜は遅くまでナースステーションで特別待遇だったらしい。どうやら寒い思いもせず、またババ自身不穏な動きもせずに朝を迎えることができたようだ。(看護士さんは大変だったと思うが・・)ババのストレスの要因でもある持続点滴がいつまで続くのか聞いてみた。入院日より7日間の予定。(うゎっ!あと4日間もある!今の状態だとババにはとうてい無理だぁー)
先生に認知症らしい症状が出てきたので可能であれば退院したいということをお願いした。病院が遠いので継続治療のため近くの病院への紹介もお願いした。
「食事は何か気をつけることがありますか?」と聞くと、「食事制限より、もう本人の好きな物を何でもいいですから食べさせてあげて下さい」とのことだった。ババの年齢だと・・・「残された時間」をどう過ごすか?ということが重要になるのかナ。ともかく退院許可が出た。

受付で紹介状、退院証明書(傷病名:脳梗塞)を受け取り会計を済ませた。
「さあ、帰ろう」ババとユリさん(ババの姪)の車に乗り込んだ。
退院時処方
【内服薬】バイアスピリン錠、シグマート錠、セルベックスカプセル
【外用薬】ニトロダームTTS
2006年03月07日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:2
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脳梗塞の後遺症 介護の始まり
認知症介護【29】
2003年3月22日ババはその急速な回復もあって「一過性脳虚血発作」ということだった。一時的に血管が詰まったがすぐに血流が元に戻り、体の機能も元の状態に戻った・・・と思っていた。しかしその発作はババの体の中に確かな足跡を残していた。まだはっきりとは見えなかった脳梗塞の後遺症は退院後徐々にその姿を現し始めたのである。
環境の変化でボケてしまったかも知れないババ。でも家に帰り、日がたてばまた元のババに戻るだろう。自宅に向かう車の中で私は楽観的に考えていた。家に帰りたい、帰りたいと言っていたババを連れて帰れる喜びで心はいっぱいだったのである。さあ、着いたよ!我が家へ。
ユリさんにババをお任せして私はお茶の準備をする。「お母さん、よかったね〜!家に帰ってきたね〜!」するとババ「
うぅ〜ん?ここは家じゃないよ!こんなとこ、知らないよ!」「え〜家だよ。自分の家だよ。わかんないの?あんなに帰りたがっていた家じゃないの!」「
ちがうよ!こんなとこ知らないよ!」「
!!!!!」・・・
(@_@;)私はユリさんにお願いをした。
「
もう一度ババを車に乗せてドライブをしてもらえないですか?」

ババが手押し車を押して通っている「さくら園」へ向かうコース、駅から自宅までのコース、見覚えのありそうなコースを・・・。
頭をガーンと殴られた気分でいた私の耳に
「
ただいまー!!帰ってきたよー!!」
元気なババの声が聞こえてきた。
「お帰り〜お母さん!」 脳梗塞の後遺症との戦いが始まった日である。
2006年03月08日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:0 | コメント:0
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介護用品 「呼び出しコール」
認知症介護【30】
ババがまだ70代の頃から我が家には水銀血圧計、電子体温計、ポータブルトイレ、尿器、吸入器、呼び出しコールなどが揃っていた。思えば早々と準備したものだが、吸入器と尿器以外はけっこう出番が多かった。今では完全に必要不可欠なものになっている。ポータブルトイレは広く場所をとるので、使用しないときは粗大ゴミみたいな存在だったが、退院時は準備してあって本当に良かったと思った。「呼び出しコール」は、絶対必要である。緊急時、歩けなかったり、声を出して家族を呼ぶことができない時などその役割は非常に大きい。ババが胸痛発作におそわれた時も私達は「呼び出しコール」でババの部屋にかけつけた。
ところで、最近のババは少々気分が悪くても、コールはせずに階段下から2階を見上げて遠慮がちに私を呼ぶ。「
アマー!アマさ〜ん!」「具合が悪いときは動かずにピピピピピを使って〜」と言っているにもかかわらず・・・である。あのとき以来・・・。
「ピピピピピー」「どうしたの?」「
うん、ほれ、おもしろいテレビやってるよ!」
「ピピピピピー」「どうしたの?気分悪い?」「
ちょっと退屈したもんだから・・・」
「ピピピピピー」「
静かだからいないのかと思って・・・」「・・・」
「ピピピピピー」「
お茶がほしいなぁーと思って・・・」「・・・」
いつの間にか緊急時用の「呼び出しコール」は、退屈しのぎに「アホ嫁」を呼び出すための「リモコン」になっていたのだ
。

ヨシキと2人で2階にいる時、たいがい降りるのは私だ。

だが、時間によっては熟睡していることがある。コールは早い時間もあるが、夜中にも鳴る。その時はヨシキが降りてくれる。
の・だ・が・・・。彼は実に真剣でまじめだ。ダダダダーと1階に駆け降りる。「ピピピピピー」「オカン、どうしたんや?」「
ぁ・・・降りてこないからどうしたのかなぁ〜と思って・・・」「ピピピピピー」「オカン!具合が悪いのか?」「
ん・・イヤ・・アノ・・その・・・」

そしてついに切れた!・・「
い・い・かげんにしろーー!もう呼ぶな!」「
しようもないことで鳴らすなー!!」 ババが思いっきり小さくなる。スゴスゴ・・・。
実はコールの
乱用がたたって、ヨシキの怒りをかったのである。いわゆる
狼少年(婆さん?)というやつである。
2006年03月09日 | 介護用品 | トラックバック:0 | コメント:2
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脳梗塞のリハビリ開始時期
認知症介護【31】
体験した人の言葉は非常に重みがあり、価値がある。
人生の大先輩である彼女は教えてくれた。「昔は脳卒中といえば倒れた後は安静にして、随分長いこと寝ていたのよ。でも今はできるだけ早く、倒れた翌日からでもリハビリを開始した方がいいと言われているの。」

今は常識となっているリハビリの早期開始。その症状によりすべての脳梗塞があてはまるとは言えないようだが、彼女はご主人が倒れたときに積極的に自宅で機能回復訓練を実施した。

他人が見ればスパルタにもみえる方法だったと聞く(例えば縛り付けて〜〜etc)。
麻痺があって自分で食事をすることもできなかったご主人はやがて回復していく。
職業柄、医療知識も豊富だった彼女は惜しみなくいろいろな体験を教えてくれた。その頃はまだ無縁の事柄として、私はただ聞いていただけである。それでも彼女が主張する
早期リハビリの必要性は頭の中に残っていた。
あれから10年以上の年月が経った。今は亡き彼女の言葉は迷うことなく、即、私にババの機能回復訓練を開始させた。感謝の言葉って前倒ししてたくさん言っておけばよかったナ・・・。

リハビリの開始(参考) 2004/6/15 「読売新聞/医療と介護」
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20040615sr11.htm
2006年03月10日 | 脳梗塞の早期リハビリ | トラックバック:0 | コメント:0
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