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有言実行のグループホーム(認知症対応)
認知症介護【59】
2006年4月19日そのグループホームを実際に訪問し、見せて頂く機会を得た。一緒に行った知人がうなった。彼自身別のグループホームで働く人間である。「う〜〜ん・・ここはすばらしい!・・かなりレベルが高い!」
以前に素晴らしいお話を聞かせてくれた例のホーム長さんの所有するグループホームである。→
認知症介護【37】(認知症高齢者の理解と対応)何の変哲もない外観の建物は、一番外側のフェンスこそセキュリティ対策がされていたものの、中に入るとそこは「別荘」を思わせるような内装だった。床はフローリング、所々に絵が飾られ、お手洗い、洗面、お風呂等は一般家庭を広くしたような設備だが、機能的な面ではいろいろ細やかな配慮がされていた。
洗面所などの備え付けの鏡は壁にピタッと貼り付けられているのではなく、やや下向きに斜めにかけられ、トイレは洋式で介助がしやすいスイングのできる肘掛けがついていた。正面に奇妙な形をしたふたのついている筒状のものが壁から突き出ていた。何かと思えばダストシューターだった。匂いがこもらないようにここからオムツ等を投げ入れるのだという。
このグループホームは現在介護度1〜4の方々が入居されているという。各部屋は全て和室(畳)で(畳は汚れたら掃除は大変だが、なじみのある日本の家屋の姿をなるべくそのままでという配慮から)、私物の持ち込みを推奨しているとのこと。これもなじみのある環境で生活していただくためということだ。
見学を了承して頂いた2Fの入居者のお部屋を見せていただいた。ドアを開けた瞬間に私が思ったことは「こんなグループホームなら私も住みたい!」である。
その部屋はベッド(持ち込み)があり、簡易仏壇があり(ご主人らしき方の写真があった)、花嫁道具だったのだろうか、年数を感じさせる鏡台があり、まるでご自宅のお部屋のよう・・・。ベランダへの出入りは自由にでき、部屋は明るい。安全面から介護度に応じて置ける家具や物は限られてくるとの事だった。
これまでグループホームは比較的介護度の低い方が対象だったが、介護法の改正により介護度の高い方の受入の必要も出てきた。そのため、このホームでも検討中とのことだ。
緩やかな階段(バリアフリーと逆行しているようだが、バリアフリーのリスク面・・・身体の機能が弱くなって足腰は逆に弱ってしまう・・・に配慮し設計されたという階段の一段の高さは通常よりかなり低い)を降り、1階のリビングに腰掛けた。
リビングはゆったりとした広さで明るく、サッシを開けるとベランダに花が植えられていた。その花に入居者の方が水やりをする。

端のテーブルでは今日の夕食の献立を相談していた。初めはお2人ともここの職員の方だと思っていた。ところが職員の方ともう一人は入居者の方だったのだ。よく聞くと入居者の方のほうがいろいろなことをよくご存知で、それを職員が教えて頂きながらというペースで会話が続いている。
ここでは「生活行動に参加していただく」がまさに実践されていたのだ。できる方は洗濯物をたたみ、調理、配膳をする。お風呂も曜日を決めず、週6日のうち好きな日にいつでも入れる。もちろん決定のできない方は職員がサポートする。
リビングでは入居者同士会話をしていたり(認知症の方だから同じ事を何度も話したり、意味不明(?)なことを言われていたり等の症状もある)、またずっと歩き回っている男性、時々声を上げ、怒っている表情をする男性、事務室をお仕事(営業?お付き合い?)のように訪問される男性(職員が丁寧に接待をしていた→今のチャンネルに合わせ、ずれている世界に正確に対応を実践されているのかなぁと思った。)がいた。
しかし、不思議な現象がある。それでも「静か」なのである。ゆったりとした時間が流れ、聞こえてくる声は通常の人間の生活の中の「声」であり、耳障りにならない。どのように表現したらいいかわからないが、バタバタ追い立てられることもなく、ご自分のペースを保つことができ、普通の生活の時間がそこに流れているのである。
「さあ、★★をしましょうか!」という職員の大声はない。穏やかに話しかけられ、会話をし、家族の団欒といった雰囲気だった。(ひょっとするとこれが一番大きいのだろうか?)大きな声で誘導することもなく、職員は表面的な存在感を強調せず(オーバーに言えば忍者のように動きサポートしている)、それぞれが私服である。そして時間の約束事もないのだ。もちろん通常の生活の大まかな流れ(食事どきなど)はあるが、〜をしなければいけないという拘束の時間はない。
ハード面(建物・設備)で驚いたのはもちろんだが、それにもまして感動したのがソフト面(職員の対応)である。この棟のホーム長さんは、それでもまだ課題はたくさんあると言われていた。居住者にとって「施設」ではなく、「家」なのだという考え方でここは運営されている。
この先、我が家でもどのような状況の変化が出てくるかわからない。その時のことを考えて対応できるようにしておく必要もある。もしも将来ババの施設入所を考える状況が出てくるとしたら、ここならば迷いなく、安心してお願いできるだろう。その時にハードルとなるのは定員18名が2棟しかないというこのホームの、尋ねることすら恐ろしい入居競争率だ。
2006年04月20日 | 認知症高齢者の理解と対応 | トラックバック:0 | コメント:0
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「なじみ」の大切さ
認知症介護【118】
認知症高齢者の理解と対応(認知症介護【37】)の補足だが、「認知症高齢者の対応(介護)」として3つのなじみを実施するという項目があった。[ なじみのある環境 ]、[ なじみのある人間関係 ]、[ なじみのある手作業 ]である。当初、そんなに重要に思えなかったこの「なじみ」について、ババとの生活の中では何度も失敗し、考えさせられてきた。
2003年のある朝、ひと通り「さくら園」へ行く準備を済ませた私は家の外にいた。すると、ババが自分で荷物を持ち、出てきた。早く「さくら園」へ行きたくてたまらないのだ。バックをシルバーカーに載せ、「じゃあ、行ってきまーーす。」と歩き出した。あ〜あ〜、まだ早いのに・・・。でも「待てる」ババではない。その時ふと足元を見た私は、ババが私の靴を履いていることに気づいた。靴の色や形、大きさも別に違和感はない。普段履きだし、たとえ乱暴に履かれても「惜しい」靴ではない。むしろ嫁の靴を履いてスタコラと歩いていくババが微笑ましかった。善意で何も言わず見送ることにした。

午後、もう帰宅する時間なのにババが帰って来ない。心配になって迎えに行くことにした。途中でババと出会う。「どうしたの?遅かったわねーー!」「
あのねー、誰かが靴を間違えて履いて帰ってしまったらしくてねぇ。いくらさがしても私の靴がないのよ〜〜!事務所の人もさがしてくれたんだけどねぇ・・・。見つからないから今日はこのスリッパを貸してくれたの。」
えぇっ〜〜〜!!言われてババの足元を見ると、ゴムの室内履きらしきスリッパだ。一緒に家まで帰り、その後私はUターンした。事務所で「すみません、私が玄関に自分の靴を出していたので・・・。」と謝り、スリッパを返した。もちろん私の靴はポツンと取り残されていた。
まちがいなく、私の理解不足と対応のあやまりだった。善意(?)どころではなく、ババの靴に履き替えてもらうべきだったのだ。この日までババはちゃんと自分の靴を履いて帰ってきていた。ババが悪いのではない。むしろババを困惑させ、大騒動に巻き込んでしまった。何が何だかわからない状態のババにとって、五感に「なじんだ物」であることはとても重要なことだった。そうでない環境におかれた時にはパニック状態になってしまう。その後、これに懲りたババは目印に派手な色の洗濯バサミを持っていくようになった。
「なじんだ環境」については、例えばタンスの置き場所を変えただけでパニックになってしまった例を私は知っている。たとえ配置を変えた方が便利で生活がしやすくてもできる限り「なじみのある環境」であることの方が本人にとってはベストだったのだ。暮らしの変化の中で周りを「なじみ」で埋め尽くすことは難しい。けれども不安や混乱をより少なくし、精神的に落ち着けるようにするために「なじみ」の果たす役割はとても大きいと思う。
2006年10月29日 | 認知症高齢者の理解と対応 | トラックバック:0 | コメント:8
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