ババの心配事
認知症介護【142】
「
チー」「何?」
「
私はこうやってチーが看てくれているけどチーのときは・・・いったい誰がみてくれるんだろうね・・・」
「エ?そうだね〜う〜ん・・・ミャンコちゃんにでも・・・ミャンコちゃんにみてもらうワ!」
「
ハ?はぁ〜?」耳の悪いババが聞き返す。
「ネコよ、ネコ。そうね、ワンちゃんでもいいかな?どっちか飼おうかな?」
「
はぁ〜・・・。」
さすがにババもあきれて、かみあわない会話終了。
胸がきゅ〜んとなった。
子供のいない私達を心配してくれていること、ババの気づかい、ババの思いやり、一生心にきざんでおこう。
年をとったときに、たとえどんな状況にあっても
きっと私達はババの温かい思いやりで包まれている。
2009年09月16日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:- | コメント:2
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キツイ Performance
認知症介護【141】
5月16日、午前9時、「
チー・・・、チー・・・。」
こんな感じの呼び方は体調の悪い時だ。嫌な予感がする。
また緊急往診が必要?救急車?
「どうしたの?どこか苦し・・」 問いかける私を手で制して

「
もう・・・何にも思い残すことはないから・・・。」
「何を言ってるの?」
ヨシキも部屋に入ってきた。
「
生まれてきたらね、みんな決まっていることだから。これが定めだから・・・。その時がきたの。天国に帰るよ、生まれた所に・・・。」
「オカン、まだ早いよ!」と ヨシキ。
「
さよなら・・」 悟りきったようにババは目を閉じた。
に、しても・・・
随分はっきりした口調・・・目にも力があって・・・少しクールな表情。
しばらくしてババに聞いてみた。
「ババ、天国に行く前に朝ごはんにしようか?」
「
そうだねぇ〜そうしようか!」 ババはパチッと目を開けると、ゆっくりと体を起こし始めた。
まったくもって・・・きついパフォーマンスだ。。。
2009年05月19日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:- | コメント:2
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まなざし
認知症介護【140】
自分の顔を鏡に映して見る
久々にゆっくりと時間をかけて。
今のこの顔は、今のこのまなざしは
安心を得られるような温かいまなざしだろうか? 否・・・。
悲しくなることがある。
その道のプロ、例えば医療・看護・介護業界の方に
ババを”判別・評”される時。
ババの何でもない、自然な行動がピックアップされ
「大変でしょう〜」みたいに言われる時。
一瞬、「エッ?何が??」と耳を疑う。
心の”耳をすませて”聞かなければ何も聞こえてこない。
聞こう、聞きたい、聞いてほしい、キャッチしてほしい、感じてほしい
うまく表現することのできないババの心を…シグナルを…
欲しいものはババに対する温かい”まなざし”
かけるべきものは暖かい柔らかい視線のシャワー。
ババはなぜ、― 気温の低い日に「暑い、暑い、戸を開けて!」戸を開けた数分後に「その戸を閉めて!」 ―を繰り返すのか
なぜ、― トイレに座ったと思ったらすぐ立ち上がり、ベッドに戻り横になったと思ったらまたすぐトイレに座る ―この動作を繰り返すのか・・・。
なぜ、― 寝ているのに息切れし、右を向き、左を向き、絶えず体を動かし、落ち着かないのか ―
思いや訴えを表現することができなくなった時
その人を理解し、支え、代弁・フォローする人が必要になる。
認知症が進み、症状が変化していく過程でのさまざまな行動、表現。
不幸にして、彼らを受け入れ、理解してくれる人にめぐり会えなかったならば・・・その行動は「問題行動」という業界用語箱に分類され、入れられる。
だが、思う。認知症を患う人の行動が”問題”なのではなく、
本当はその人を見つめる周囲の”まなざし”が問題なのではないか?
「認知症」というラベルを初めから貼り、その箱の中で整理、解釈していく。
認知症の人も、そうでない人も
体の痛みとか不快感、心のイライラとか興奮とか、喜びや悲しみといった感情は当然誰でも持っていて、そこに何ら変わりはないはず。普通であり、自然なこと。
ただ、それをうまく表現ができるか、できないかの違い・・・。
(その人が本来持つ性格由来の行動は別として)
認知症と診断された方の表現行動は時に― 認知症ゆえの問題行動 ―になっていないだろうか?
実際はしかし、無理もないのだ。
ババの性格、ババの人生、ババの日常を知らないのだから・・・。
おそらく「常識的」と言われるものさしで判断しているだけなのだから・・・。
身近な私でさえ、時間をかけて理解できるようになったこともあるのだから・・・。
偉そうなことを言っても・理想を掲げても、私自身時々ヒステリックな対応をしているのだから・・・。
ましてや、認知症の症状は人それぞれ違うのだろうから・・・。
認知症の病を持つその人の人生を知ることから始まり、また知ろうとする気持ちがない限りその表現の真意を理解することはできない。
何より、その人に対する温かい”まなざし”がなければその人が真に望むリアクションは返せないのだと思う。
ババは向けられた”まなざし”に対して実に敏感に、実に正直に反応する。
ババの反応への対処より先に、まずすべきことは
その”反応の元”である自分の”まなざし”を鏡に映して見ることではなかろうか。
2009年04月23日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:- | コメント:2
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A Happy New Year!
認知症介護【139】
「
いいお正月だね〜〜」

大晦日〜元旦朝にかけ、ほんのり赤くなった顔をほころばせ、ババが何度も口にした。
家族3人で、穏やかに新年を迎えることができる幸せ…。
偽痛風発作で、一時起き上がることすらできなかった。
左手首を骨折、「痛いー、痛いーー」と叫びながら
3度の徒手整復に耐えた。
体への負担は思いのほか大きく、さすがのババも弱音を吐いた。
年末になり、ようやく好転してきた。
ババにとって、ヨシキにとって、私にとって
「試練の年」であった2008年。
ひとつ大きな山を乗り越え、”お互いの存在(いのち)=幸福”だと実感。
もしかしたら…
この世に生かされている時間って、ひとりひとり設定されていて
それは、どうあがこうとも人間の力では変えようのないものかも知れない。
ならば、設定された寿命、生かされている時間の中で
たくさんの幸せな時間を持ちたい。
たくさんのやりたいことをやりたい。
苦しみもたくさん押し寄せてくるけれども、その中からひとつでも多くの
”しあわせ”を見つけたい。
今も刻々と過ぎていく時間。
誰にとっても大切な時間。
A Happy New Year!笑顔の多い”時”を! より多くの”しあわせさがし”を!
2009年01月02日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:- | コメント:4
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「うつわ」
認知症介護【138】
人それぞれ持って生まれた器がある。大きさも形もそれぞれ。
大きければ「立派な人間」、小さければ「その程度の人間」では…なく、
「それぞれの器の中でそれぞれの輝きを見つける」ことが人生の目標ではないか…。

周りから優等生というハンコをもらわなくてもよい
自分の器の中身があふれてしまわないように、
自分に与えられた器の大きさのなかで、ベストを尽くせばそれでよい
その中でもがき、充実し、その人なりの輝きを見つけていく。
時に、介護も人生も常識的、理論的にこうあるべきだという姿に
とらわれる。そしてその通りに行動できなかった場合、
非常識でダメな人間だと烙印を押されることもある。
人間、知能も身体の大きさもそれぞれだ。
それぞれの上限値があり、変えようのないものもある。
特定の基準のものさしではかられ、点数をつけられることを恐れず、
もし自身の器があふれそうになったら
無理をせず、さっさと詰め込むことをやめ、周りにSOS発信し、助けてもらおう。
(チーの勝手なつぶやき)
2008年11月20日 | 認知症介護・日常_1 | トラックバック:- | コメント:4
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